N°4 - ツインフレームという裏付け
巷には、「ツインレイ診断」とか、相手がツインレイであるサイン、ホロスコープの配置...など様々な広告や情報であふれています。その全てを真に受けるのはやめましょう!
いくつかは「正しい」ものもあります。正確には私に「当てはまった」ものがあります。だけど私はこれに関して、他人が診断するものではないと結論づけています。それに、もし相手がツインならどこかの時点で自分でわかります(私はそう思います)。他人に自分の人生について決めさせないでください。
私の例でいくと、そもそもこの概念すら知りませんでした。スピリチュアルなことも全く信じていなかったし、ましてやツインフレーム(ツインレイ)なんていう言葉を聞いたこともありませんでした。あまりにも胡散臭いので、自分の身に起きない限り、到底信じられる概念ではなかったです。
正直言って、出会う前にこの概念を知ることは一種の不幸です。エゴ的な期待を誘発しかねません。
また、恋愛関係もしくは婚姻関係によくあるとされるシナストリーは必須ではないと思っています。私とAには、二人の太陽と月とを繋ぐメジャー・アスペクトはありませんでした。そしてBの方がそれで行くと「らしい」シナストリーが幾つもあります。ライツも合します。しかしこの数年、AとのTF(ツインフレーム)ジャーニーを経験してきた結果、彼が私のTFではないとは思いません。(後年Bと出会ったからと言って、Aとの時間が無駄になったわけではありません。そしてTFの関係性が取り消しになったと考えるのは早いと思います)。少なくとも普通の恋愛のような関係性ではなく、特別な縁のある相手だと確信しています。Aとの間にも興味深い配置は幾つか散見されました。まだ研究中で、いつかお話するつもりですが、結論としては、先にホロスコープありきで考えてしまうのは順番が違うように思います(気になってしまう気持ちは痛いほどわかります。そして全く関連がないとは思いません。だけど “シナストリー=根拠” があるから決めるのは違うと思います)。
仮に「この人いいな」と思って、巷で言われるアスペクトやそれらしい「サイン(根拠)」がないからといって、じゃあ「不十分」なのでその人を諦めてしまう、というのは本末転倒だと思いませんか? ホロスコープは決定事項ではなく、傾向や可能性です。特に西洋の価値観なので、吉凶と決めつけたり、運命論で片付けはしないのです。人間には自由意志があって変えられる部分がある、という主体的な姿勢が好まれています。対して、東洋の占いは断言するものが多く、自由度が低いですが、それはその占いが生まれた国民の社会的な自由度にも関係していると思われます。
根本的な話を言いますと......実際にツインフレームを経験して後半になるとわかるのですが、ツインであるかどうかなんて大した問題ではなく、ただ目の前の人とどう関わっていくか、自分の過去や自分自身とどう向き合って癒していくか、ということが主題です。そしてそれはなにもツインフレームに限りませんよね。出会っていないから自分は不幸だとか、冴えないとか、逆に出会っているから偉いとか、ずるいとか、そういう話ではありません。人それぞれパーフェクトなタイミングというものがあると思います。ツインじゃない相手だって特別な関係性です。それはそれとして意味があります。綺麗事を言っているのではなく本当にそう思います。ツインフレームという如何にもキラキラしたラベルに惑わされないでください。ラベル自体は問題じゃないのです。だから、占い師や霊能者のお墨付きは必要ではありません。
Major Myth of the Twin Flame Journey:
残念なことに、ただのロマンチックなお話ではありません。ツインフレームという概念に触れた人は、その感動的で美しい物語を夢想してしまうと思いますが、楽で楽しいだけの物語ではなく、私だけの王子様だ〜というキラキラな世界観というよりも、「鮪、二夜連続」みたいな習字のフォントで「学び」って感じです。自分の闇に向き合う話なのでヘヴィーです。実際には何度も何度も悩み苦しんで、「ツインフレームなんて嫌だ、やめたい」と思うこともあるし、「もうできない」と幾度となく諦めかけました。ディズニー映画みたいにスルスル展開するものとも限りません。
確かに壮大な物語です。だけど出会う前から始まっています。
「出会うためにどうしたらいいか?」とつい思ってしまう人も多いのではないでしょうか。実際私の周りでもそうです。だけどこうした不思議なことって、私の経験則的に、最も予期しないときに、最も予期しない形で起こったりすると思うので、追いかけるほどに逃げられる性質があるのではないかと睨んでいます。
私の考えでは、もしツインフレームに出会う条件があるとすれば、過去(人生の前半、特に幼少期から)に壮絶な体験がある、故に生きづらさを抱えている、愛に飢えている、且つ、自分なりに自己愛(セルフラブ)やトラウマの癒しに取り組んできたことが挙げられます。
もちろん出会ってから別離があって本格的に課題に向き合うのですが、それまでにもある程度の努力をしている積極性が必要なんじゃないかと思います。結局は、「彼が治してくれる」のではなく、「自分で治すしかない」ので、楽な方(成長しない方)に逃げず、その事実を受け止め、向き合う覚悟があるかどうかを天に見られていたんじゃないかと思うのです。でなければ来たる大きな課題に耐えられません。
だから、これは「彼との神聖なる愛の物語」というより、「自分との壮大な愛の物語」を彼を通して紡いでいると言った方が正確なのかもしれません。
結論としては情報を追いかけない方がいいでしょう。頭でっかちになりますし、固定観念になって、かえって今ある関係性や目の前の出来事に対してノイズになります。
私の実体験、出会う前、出会った時、別離編...などはまたの機会にお話しします。
God bless you!
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