N°25 - 反出生主義

また言われたからここで吐き出すとしよう。毒親(もう父とも呼びたくないが)はいつもいつも「孫産め、孫産め」と煩い。私の勝手だって分からないのだ。いつまでも「嫁と子供は自分の所有物」だと思っているから。仮に産んだとして何のサポートをするわけでもない。金銭も世話も関与しないし、別に子供が好きなわけでもないから可愛がるかどうかさえ怪しい。彼が欲しいのは孫ではなくステータス「世間一般の幸せ」しか幸せの解がないと信じているからそこにしがみつく。自分の答えはない。「孫がいる」というステータスだけが欲しい。それだけが彼を幸せにする。そう信じてやまない。彼にとって幸せとは概念であって個人の感情ではない「孫までできたら人生上がり」ということだ。娘の幸せ、孫の幸せは一切勘定にない。他人の人生などお構いなしだ。世間に「おじいちゃん」という称号を主張できることが彼の何よりの目的である

自分は散々家庭を壊しておいて、私を壊しておいて、一体誰が子どもを持ちたいとポジティブにイメージするというのだろう。彼が田舎者で昔の世代というのは単なる言い訳に過ぎない。少なくとも面と向かって未だに口出してきて、それが問題であることを理解しようとしもないのはこいつだけだ。今時いい加減言わなくなってきているんじゃないかと思う。こうした時代の流れさえも気にしないし理解しようとはしない。全て自分が正しいと思っているし、自分中心に世界は回っているから、自分の希望通りに惑星が運行しないのはおかしいという理屈だ。彼は子どもを産むことが義務だと思っている口。こちらに選択肢を与えるつもりはない。命令なのだ。

私はこれまで子どもを持ちたいと思ったことは一度もなかった。養子も含めてだ。これが反出生主義というやつかもしれないが、私はこの苦痛の多い世界/社会に、生み出したくはないと思っている。この世に生きることが幸せとは思わない。加えて、私はこの国の保守的な思想に全く合わないし、政治もとんちんかんなことを繰り返している中、国ごと朽ちていっていると言ってもいいこの沈みかけた船に新たな希望の種を撒こうとは更々思わない。そもそも子どもが好きじゃないし、自分がここまで生きるのだけで大変だったからこそ、子を持つことや子育てにポジティブなイメージが一切ない。正直自分の外見も内面もそっくりな人間が出てきたら怖いし、毒親の遺伝子も絶やしたい。私のシャドウを投影したくないし、絶対に負の連鎖を繰り返したくない。たとえパートナーが望もうが、他国で暮らそうが、痛い思いをするのも私だし、逃れられないのも私だ。どれだけ経済的に何不自由ない環境に整おうが、私は絶対に子を持つ気はない。それは絶対に譲らないし、謝る必要もない。私のタフな生い立ちが少なからず影響しているのは自覚している。それに私は「鬱病に罹る前の私」を知らないから、この病気がこの考えを生み出しているのかもしれない。私が元気になれば別のことを考えたかもしれないが――

しかし、たとえ美味しいものを食べるだとか、遊園地に行くだとか、そうした日々の楽しい事柄であっても、やはり生きること自体は苦しみである。それを「学び」だと言い換えることもできるだろう。この世界では、物質の感覚が強すぎてそれを正解だと思ってしまうが、実際は空虚だ。物質は私たちに快楽を提供するが、それがまた苦しみの種でもある。物質に触れ、馴染み、魅了され、人間が問題を作り、しがみついていく、この一連の愚かしさに参加する身でありながら虚しく思うことも少なくないし、また、それに耐えきれない潔癖さが私にはある。生きることはくだらない。そう思わない方が百倍幸せだろうに。幸せな人は何も感じない。哲学に溺れることがない。

この人間に関しては悍ましいことがたくさんあるから、言われれば言われるほど私は嫌悪していく。何度論破しても彼は言い続ける。これは会話ではないからだ。言ったところで叶うはずもないし、万が一にも産んだとして会わせるわけもないのに、己を客観的に認識することができないからハラスメントは続く。だから、「話せばわかるやつ」はまだマシなのだ。まだというより百万倍もマシだ。会話が成立しないやつは、物理的に接触しない以外の対処法が存在しない。




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