N°27 - わからなくていいこともある UNCERTAINTY: LETTING TIME UNFOLD THE TRUTH

「何でも理解しよう」としない方がいい、ということがようやく分かってきました。然るべきときに、明らかにされていくのです。

何かを信じるということは、「答え」が分からないまま、確かめようのないことに対して心を開いていくことであって、「確実でハッキリしたもの」を信じるとは言わない。


'FAITH IS TAKING THE FIRST STEP EVEN WHEN YOU DON'T SEE THE WHOLE STAIRCASE'
- DR. MARTIN LUTHER KING
信念とは、階段の全体像が分からなくても
最初の一段を登ることだ
- キング牧師


分からないことが怖いからコントロールしようとする。そう、私は不確かなものが怖かった。確実な安全、保証された未来が欲しかった。

宇多田ヒカルさんも「何色でもない花」で歌っていましたね。「確かめようのない事実しか/真実とは呼ばない」って。

実際に、この世の中でそれほど確かなものが幾つあるんだろう。案外、大雑把に出来ているのかもしれないと思っています。

例えば、イメージ。「フランス産」と「マレーシア産」に同じイメージはないでしょう。「アメリカ産」もまた違う。具体的にどういうイメージを持っているかは人それぞれなわけです。取引してる関係者なら本当にどこの産地が良いとか知っているでしょうけど、一般人はその情報を丸々信じているだけで現地を視察して食べ比べるわけじゃありません。「XXの商品ならこの国が良さそう」とか、「青いロゴの会社は信頼できる気がする」とかそういう思い込みで商売が成り立っている。

芸能人はもっと顕著で、イメージという虚像が商売道具になります。例えば、女優が喫煙者だと知ったら、昔ならスキャンダラスな受け止め方をされていました。俳優はいいけど、女優には吸わないで欲しいみたいな願望があるんでしょうね。今はそこまで「イメージが悪い」とは思われないかもしれません。「清純派」というのも古い戦法で、何を持って清純と言っているのか分かりませんが、処女信仰もロリ信仰もいい加減廃れてほしいですね。売る方も売る方、買う方も買う方です。煙草やピアスが不良という「イメージ」。遊んでいそうな「イメージ」。男性だとプレイボーイとしてなんならちょっといいイメージもつくけど、女性の場合ふしだらとか小悪魔的な受け止め方で、それも元を辿れば女性に対する願望や誤解があると思います。実像ではなくて。同じ人間なのに。

結局本人の人間性や私生活なんてそうそう分かりゃしませんし、必ずしも作品に影響するわけでもない。よっぽど親しくなければ知らないし、影響もない。皆、大なり小なり仮面を被るのが常で、子どもだって仮面を被ります。

その日の服装で簡単に偽ることもできる。いや、勝手に受け手が騙されているんだけどね。豹柄を着れば自信満々に見えるし、金髪なら反抗的で、黒髪とシャツにすれば真面目に見える。実際の人間は変わっていないにも関わらず、周りの人の期待や予想を易々と変えることができる。便利な反面、実にいい加減な作りです。たかだか色や柄で、ですよ。

評価は相対的だから、コインの価値だってそういうことですよね。多くの人間が関わって、これはこれだけの価値と決めているだけ。物はただ物として存在しているに過ぎない。

...

私の人生というのは不確実の連続でした。何の自慢にもならないけれど、先が見通せたことなんて正直ありません。早い段階からレールから外れていますからね。地球に馴染めないのに社会に馴染もうとすることに無理がありました。私は私にしかなれません。

ツインフレームなんて私が計画したものではありません。そんな夢のような話、到底信じられませんでした。

イメージは、ともすると思い込みに繋がるから、選択肢を狭めてしまうことがある。

「ちいかわはつまんなそう」と思っていましたし、こうした食わず嫌いはあります。そもそも、「キャラクターなんていい歳したら持ってはいけない」と自分に禁じてきました。楽しむことを自分に許せるようになったのはここ5年くらいでしょうか。

「マイメロ/クロミ好きはやばい」みたいな根拠のない馬鹿馬鹿しい思い込みも昔から流布していました。集団規模で長いこと共有されているジャッジです。近年は「(ちいかわに出てくる)モモンガ好きは、自己中心的な人物で、夜職に多い」という職業差別まで。それ言ってる側が一番性格悪くないですか? といつも思うのですが。

普段はハローキティやシナモロール派だけど、20周年を機にマイメロもクロミもまんまとかわいいと思うようになりました。ちいかわに出てくるモモンガも「かまちょ」でかわいいです。かわいいものはかわいい、本当はシンプルな話なんですが――

私も躊躇ってた時期がありました。だけど、「ああ、これって、くだらないジャッジだな」と悟りました。「周りにどう思われるか」を気にして、「自分がどう思うか」を優先しないのは愚かしいことです。本末転倒です。俗に、マイメロやクロミは、病んでる人が好いてることが多いと言われるキャラクターで、作り手も明らかに認識していますが――(私は "メン*ラ" という言葉を断じて使いません。まず精神衛生と精神疾患を混同しているし、精神疾患全般を一括りにする横暴さに同意できない。差別的にもファッション自虐的にも使われているし、理解やサポートから最も遠ざけています)――まるで隠れキリシタンの踏み絵のような扱いだけど、私は別にそう思われてもいいやと受容できたときから怖くはなくなりましたし、逆に、このキャラクターのストラップをつけているからといってそれをアイデンティティにはしていません。(したい人はそれでいいと思います)

何かを酷く嫌うということは、自分の中の何かを嫌悪しているということなので、抑圧された何かや、受容できない自分の中の性質を投影しているのかもしれません。

前回の記事で申した通り、主人公ちいかわを可愛く思えるのは、自分の至らなさを受容できたからです。結構アンチが多いようですが、反対に「有能」なキャラクターとして描かれる「うさぎ」の人気はかなり根強いので顕著な対比だなと思います。

キャラクターをミラーにして考えると自分を見つめる手助けになりますよね。




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