N°35 - 自分の中の良い子と悪い子を統合する

「いい子になりなさい」は、人生における最大の嘘だいい子で生きた者のうち、これに早めに気づき、やめられた者から幸せになる。いい子とは「親にとって都合のいい子」であるから、後に「それは会社にとって都合のいい子」、「誰かにとって都合のいい子」に変換される。社会や人間関係についてまわるから即刻やめなければならない。

「いい子でいなければ愛されない」、「正しくあることが善だ」と学んだ者は、常に受け身になる。条件付きの愛だ。自分自身をありのまま表現することができず、外側の要求にいつまでも自分を合わせるようになる。良い子は他者の要求を叶えるところに自分の存在意義を見出してしまう。「悪い子になってはいけない」つまり、人生の中に禁止事項ができる。「悪いこと」に分類されそうなあらゆるものを避けて通る。自分から湧き出た純粋で自然な欲求でさえ「自分の中の悪い子」として時に葬り去ってしまうおそれがある。他者に溶け込むことで存在し、他者の中にしか自分を発見できなくなる。「親の言うことが全て正しい」ということは決してないことに、ある程度歳を重ねると気づくことになるが、それがまだ未成年のうちなら特に、今更「悪い子」に転身しても良い子であったことを知られている手前叱られてしまうのだ。手間のかからない子とは、「親のコントロール下にある子」を意味する。

逆に悪い子として生きた者はどうか。悪い子イコール「親がコントロールできない存在」であるから主導権を握っている。親の行動を決めることができる。意識的/無意識的に関わらず、甘えとして関心を向けられたいから反抗する場合もあれば、親の感情を変えることができることに喜ぶ場合もある。「親の言うことを聞かない子」ではあるが、勘当でもされない限り親に見捨てられることなく己の要求は達成されるのでそれは強い成功体験となる。益々「いい子でいたら損だ」と考えるようになり、いい子路線に入らなくなる。さっきと逆だ。そして「悪」が自分のアイデンティティになってしまった場合、自らの素直さは鳴りをひそめ、良い子に嫌悪し、自分は「あらゆる人間に我慢させて自分の要求を相手に飲ますことができる特権を得た」と勘違いしてしまう。自分は上位につき、いい子は弱く従順であるため下位として服従させることができるのだと。「いい子でいるなんてダサい」と思ってくる。悪い子は他者への共感能力を失っていく。結果として他者や社会と絶えず衝突を繰り返すことになるかもしれない。

良い子も悪い子も、そのままを愛されていない。分裂している。黒柳徹子さんが、理解ある校長先生に「きみはほんとうはいい子なんだよ」と言われた、かの有名な話を思い出してほしい。それまで「悪い子」扱いされてきた彼女の性質が受容されたことによって、彼女は今も自分本来の輝きを表現している。「徹子さん」は「徹子さん」。他の誰でもない。「良い子」や「悪い子」という周りからのレッテルに縛られない、本当の自分で生きているのだ。

「親の言う通りにならない子」は「わがまま」だと教育される。本当にそうだろうか? 本当にそれはわがままなのかと問いかけてみる。実は親が躾けるときに面倒だからそう言ってただけのことを、それが自然と身についていくうちに、大人になっても未だ自分で押し殺している欲求はないだろうか。鳥籠に自分を入れてないだろうか。

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自分の中で起きた分裂を統合させることが愛だと思う。そのどちらのパートも自分だから「常識、世間体、論理、合理、現実的、思考」と「本心、感情、精神、魂、好き嫌い」みたいに自分の中で対立する善悪や二元論が誰しもある。どちらかの存在を否定していたら、それは自分を否定することになる。自分とは善悪を超えた存在。自分とは「すべて」。完全であるから。

タロットの21番の「ワールド(世界)」はここに通ずると思う。両性具有的に描かれているように、この世の全ての要素がある。プリズムで分光される前のすべての光がある。この世のすべての存在の意味を許す、理解する。芸術がモラルを超越するように。光が、物体を照らすときに影ができてしまうように、陰の表現を認める。

私は、その前の20番の「審判/ジャッジメント」が、意識の世界(魂や死後の次元)のことを理解する、悟る状態を表しているのだと思う。Awakening. Enlightenment. 魂の選別ではなくて、目覚めることだと思う。死者が棺桶から起き上がっているRWSの絵のように、「死後に気づく、夢(この世)から覚める」。宇宙の法則、この世の仕組みに気がつく段階。だっておかしいじゃないか。19番の「太陽」まで来たのに、秤に測られて天国か地獄行きか決まるなんて俗っぽい考えがこんなに終盤に来るなんて。自分以外に誰も裁く人はいないんだよ。よくスピで謳われる「覚醒」も人によって何を指してるのかが違うらしい。もしかしたらそれは「今の自分以上に凄い人間になる」ことではなく、既にすべてが完璧であったことに気づくことなんじゃないのか? それは単に、自分が自分の人生における最も影響力のある強力な人間で、自分が自分の現実を創造していること、自分という存在が他者や宇宙全体に対して強い影響を与えていること、自分が欠ければ森羅万象のタペストリーが完成しないこと、言ってみれば「自分の偉大さ」に気がつくこと、思い出すことなんじゃないのか?

自己統合とは、自分が「ダメ出ししてしまう自分の領域」を含めて丸ごと、ありのままの自分を肯定し受容することだと私は思う。とにかく、何があっても自分を責めない。自分を責めて良いことは一つもない。これは確かに言える。いつか自分が見捨てた自分を取り戻すこと。言い分を聞くこと。本心を聞くこと。自分の中で分離したものたちを合わせること。陰陽のシンボルみたいに。☯️ それが内側の統合。本来「悪者」はいない。

本当の自分を表現すること、ありのままの自分で生きること」を、アニータさんは繰り返し伝えている。私たちの魂の目的は、存在理由はそれに尽きるのだと。Authentic self などといえば格好いいが、私は Real me と呼びたい。本当の自分とは、「真に自分ではない部分」を取り除いた姿で発見される。実は引き算でよかった。何者かになる必要はない。将来の夢がなんだろうと、過去も現在も未来も『コジコジはコジコジ』であるように。(公式youtubeにある第一話は素晴らしい。私も子どもの頃、将来の夢を聞かれて同じように当惑したことを思い出す。まるで自分ではない何かにならなきゃいけないみたいに教わったからだ)。この世は義務ばかりで、大人になったら他者の役に立たなきゃいけない決まりでもあるかのようだった。でも実際は、ありのままでいいということ。そっちが先だということ。誰かに好かれるための自分は本物ではなくて。『アナと雪の女王』があれだけヒットしたのも頷ける。(流行りものを食わず嫌いする私も遅れて観たわけだが、本当に良かった。特に私は英語のオリジナル歌詞の方が好き)。
本当の望みは何か、ジャッジせずに自分に語りかけてみる。騙されたと思って携帯の電源をオフにしてみてほしい。すると自分の内側に繋がる。無理してポジティブでいるのではなく、自分に正直でいること。それが最も大切なこと。どの感情にも価値があるし、意味がある。

自分の全ての側面を愛し、立体的に自分を愛する




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