N°43 - 作り物の世界で
私たちは情けない想像力を持っている。離れなければ真価がわからない。死に近づけば生がわかるし、夜がわかると朝がわかる。失わなければ大事なことに気がつかないし、分離しなければ魂のことがわからない。反対側から見るしかないんだ。だけど私たちはまだ月の裏側さえも知らない。
『月』のカードに対応するのがなぜ蟹座や月ではなくて魚座や海王星なのか。『月』と『太陽』と並ぶほどに『星』は偉大なのか。夜空でもなく、コンステレーションでもない。数にうるさい言語なのに星は単数形だ。ならあなたは何の星を指しているのだ。
『月』は占星術師と天文学者の揶揄なのか。そうだ、不完全な観測だ。観測したからといって真実を掴み取れたとは限らない。あくまで私たちは目に見えたものを知っているだけだ。そのものになったわけじゃない。月の裏側を知らないように、私たちは知っているつもりでまだ何も知らないのかもしれない。永遠と知らないことに向かい続ける人間の小ささを言っているのかもしれない。
月を人工物だと言う者もいる。我々相手に数字遊びをしているのだと。聖書で繰り返し同じ数字を使ったり、サン=テグジュペリがそうした罠を仕掛けたりすることと何が違う。私たちは同じ数字の連続を見ただけで大喜びしてしまう。少なくともあの月は、子どもをあやすように戯れているのかもしれない。それもいいだろう。
大切なものは目で見えない。心の目で見なければ見えてこない。そうであるとしたら、私たちがこの目で見ているものに一体何の価値があるのだ。何かを観測しているとき、何かを観測していない。何かは見落とされている。見ることで意味を決定づけてしまう。見ることは見ていないことと同じ。私はなにもかわっていないのに、スーツを着れば立派に見えて、ナース服を着れば誰かの火星を燃え上がらせるように、目で見えるものというのは強力なマジックだ。そう、マジシャンは視界の外で何かを隠している。もし星たちが、月が、惑星が、マジシャンだったとしたら、何を欺いている? 何を隠している? 月だけでなく、目に映るすべてが作りものなんじゃないのか? ただの一方向から見た観測に過ぎない。触れるから本物? では、触れない心は偽物か? まさか、心臓のことを言っているのではあるまい。
あなた方は薔薇を見れば美しいと仰言り、蛇を見れば気味が悪いと仰言る。あなた方は御存じないんです、薔薇と蛇が親しい友達で、夜になればお互いに姿を変え、蛇が頬を赤らめ、薔薇が鱗を光らす世界を。兎を見れば愛らしいと仰言り、獅子を見れば怖ろしいと仰言る。御存じないんです、嵐の夜には、かれらがどんなに血を流して愛し合うかを。神聖も汚辱もやすやすとお互いに姿を変えるそのような夜を存知ないからには、あなた方は真鍮の脳髄で蔑んだ末に、そういう夜を根絶やしにしようとお計りになる。でも夜がなくなったら、あなた方さえ、安らかな眠りを二度と味わうことはおできになりません *1
儚いのは花だけじゃない。私たちすべてだ。私はあなたの答えだ。そしてあなたは私の答えでもある。
流れ星を見れば大喜びし、太陽が昇れば感謝する。自然とは人間をもっとも喜ばせてきた芸術である。そうして受け身であるはずだった。空を知ろうとするとき、それは逆転する。まるで土足で踏み荒らそうとするぐらい無遠慮に探検するだけ探検して、美しい秘密を奪い去って、真実の探究というものを正当化する。地球のことはなにも知らないのに遠くばかりを夢見ている。離れているものほど、美しく見える。他の人を愛する方が自分を愛するよりよっぽど容易いのと同じ。宇宙飛行士の野口氏によれば、地球には海があって雲が多いから白くて眩しいのだそうだ。ほら、離れてみなければ見えてこない。外の誰かが見るこの星と、私が内から見るその星は違って見えるに決まっている。私があなたを見るときも、あなたが見るあなたとは違うのよ。もし外の存在がこの星を見たらどんな星だと思うだろう。なにも知らないかれらにこの星がどんな星かってどう説明するだろう。きっと人それぞれ別々に語るだろう。それが観測というものだ。見たいように見れる。それは幸であって不幸だ。反抗期みたいに知恵があるとか、大人のように純粋だって言うかもしれない。そうはいってもなかなか愛らしいよとか、いやいや思春期ぐらい妄想が激しいんだとか。『美しい星』でもそんなくだりがあった。
『星』は単なる水浴かもしれない。清められたときに私はひらめく。私がさっき今宵の赤い影を見たことは言うまでもない。
先の記事を大幅に加筆修正した。悪いけれどそんなことはしょっちゅうだ。時間が経って気づくことが大量にある。だけど情熱のうちに発表したいのだ。きっとこの記事もあとには様変わりするだろう。すべては変化の過程にあるといえばお許しいただけるだろうか。『神の家』の見かけは散々でも、あれは神が悪魔に打ち勝つことを描いたんだと最終的には思った。前々回の記事では『バオバブ』の話は自分の心の小惑星に繋がることだと書いた。
your now is not your forever
触れられない距離に星と星がある。私たちはそれを繋げて読んできた。離れていることが孤独なんじゃない、繋がらないことが孤独なんだ。
you know me and you don't *3
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