N°55 - LE BATELEUR: 嫌いでも愛することはできる

「自分を嫌いながら自分を愛することはできる」。これの意味がようやくわかった。好きと愛は別物だ。

あるとき、外から帰ってきてバリバリの髪だった。ドライヤーがこの世で最も嫌いな行動の一つだから、乾かしてる間に目が死んできて乾き切る前にやめちゃうこともある。基本的に人間の生活はスパゲッティと同じで、濡らして乾かしての繰り返しだ。つまり、王族の生活がしたい。人間生活めんどくさくて薔薇。なんかガサガサしてる髪なので、ちゃんと洗いたいなと思って浴室に行く。すると突然、「ああ、でも、私は私の髪を愛してる」と慈しみの気持ちが湧いた。自然発生的に。バリバリの髪は嫌い。ツヤツヤの髪は好き。好き嫌いは自分が下す評価で、愛は慈しみだどんな状態であろうと、そこに慈しむ気持ちを持てば、それは愛してるってことだ。今変換してて知った。「慈しむ」は、「うつくしむ」から来ていて、「愛しむ」とも書く。慈愛とは、大切にすること。優しくすること。だから嫌いなままでいい。自分に嫌いな部分があったままでいい。バリバリの髪を無理矢理好きになることが自分を愛することではない。

欠点や傷があっても愛されるというのはこういうことだ。誰それのその欠点が嫌いだと思っても、その人を愛することはできる。苦手なこと、嫌いなこと、傷ついてること、全部克服しないといけないなんてことはない。だってそれは言ってみれば没個性化することだ。味を均一化することだ。どのフルーツも甘くしようとする意味がわからないのと同じに。

"I LOVE MY HAIR" そう思いながらいつものヘアマスクを使う。するといつもは効果がなかったのに、髪がツヤツヤになっている! そうなると、ますます髪を好きになりやすい。

もっと白い歯がいい、そう思いながらも現状の歯を磨きながら思う。"I LOVE MY TEETH" そう思いながら磨くと、白くなっている気がする! 気のせいでしょ、浮かれてるだけでしょ、そう思われても構わない。私の中で変化を感じられたのならそれでいい。何を使うかじゃなくて、何を思うかだ。何を思いながら使うかだ。

舌を磨きながら分かった。「この舌はいつも私に鋭い味覚を与えてくれているんだ」と。それって「ありがとう」だ。苦味や酸味は嫌いだ。だけど味がある、それを経験できるって幸せなこと。豊かなこと。嫌いになれるってことは、好きになれるものがあるってこと。「酸いも甘いも噛み分ける」と言うけれど、やっぱりどちらも豊かな経験だ。1ヶ月間味覚がなくなったことがある。味がないって不気味で、何を食べても同じだし、何を食べても美味しくない。食べる喜びが失われたし、食べる意欲も失せる。

「欠点を克服せずに長所を徹底的に磨け」と、林修氏も、USJや西武園ゆうえんちを建て直したことで知られる森岡毅氏も言っている。日本人は平均を目指すけれども、どこかが突出したバランスの悪い人間になれと。会社員の場合であっても、会社はその人の "強み" に給料を払っている。弱みを鍛えても仕方ない。玉葱がトマトになることはできない。弱みの "文脈" は変えることはできるけれど、弱みは弱みだ。立地が悪く山しかないリゾートホテルなら、山があることを生かす。古い遊園地であることが変えられないなら、昭和時代をテーマにしてみる。そうやって額縁を変えて絵の印象を変える実際、絵画って額縁の要素も大きい。その絵と合ってるかは重要だ。「自分1人ではどうにもならないこと(定数)」を変えようとせずに、「自分がコントロールできること(変数)」を動かせばいい。*1


NOTHING KILLS YOU FASTER THAN YOUR OWN MIND. DON’T STRESS OVER THINGS THAT YOU ARE OUT OF CONTROL *4
自分のマインドほど早くにあなたを殺すものはありません。コントロールが及ばないものを過剰に心配してストレスを感じないでください。


もちろん、絶望的に自己中で人に迷惑かけているような致命的な欠点を持つ奴もいる。そういう人は自分を改めようという気は更々なくて、当然、人と衝突したり、人が離れてく経験をする。そこに不満を感じるなら人と協調する術を身につけろという他ない。逆に、自分には治すべき傷や欠点や不得意がまだまだあるな、そう思い悩んでいる人はいつまで経っても自信を身につけない。完璧を目指し、完璧でなければ好かれない愛されないと思い込んでいる。つまり、自分は悪くないしと開き直って悩んでない人ほど治したらいいし、自分は至らない点があると悩んで自分を責め続けてる人ほど治さなくていいという現象が起こる。
――しかし! これが妙で、私の周りに前者タイプが多いのは実は私の信念の裏返しで、分かりやすく欠点が目立った人や大きい人が配置されている。でもそういう人たちをつぶさに見ていくと、なんだかんだ言って、捨てる神あれば拾う神ありで、見捨てない人もいるし、その人の美点もあるし、社会の歯車として機能(存在)していたりする。だから欠点があっても大丈夫だし、自分の欠点を責めるから、責めたくなるような他者が目の前に出現しているように思う。この世は無駄がない。
ただ「自分はこの人に振り回されている、イライラさせられてる」と現実に反応するのではなくて、その被害者意識や自己憐憫こそが状況を作り出しているのだということを耳が痛いほど実感する。人間もあらゆる生命体も、無機物さえも、私たちは地球からしたら細胞の一つ一つのような小さくて大きな存在だ。悪玉菌と善玉菌がどちらもないと人も土も成り立たないように、本当の意味で善悪の区分はなく、全ての存在は絡み合っている。

♣︎ "必要なものはすべて持っている。豊かさはそこにある" としたら...

道具の使い手、the Magicianのカードに思う。イタリア語版タイトルの Il Bagattoは bagatelle "些細なもの" という意味の語から来ている。もしかしたら些細な工夫でどうにかなることと通じるのかもしれない。手品は見せかけだ。言い換えると、見方を変えるということ。「観客が仕掛けに盲点になっている」ことと、「自分が自分の才能に気づかないでいる」ことは同じだ。別の視点になればタネが見えるように、視点をずらすと豊かさに気がつく。先の遊園地だって、ある意味「だまし」だ。非常にいい意味で、古い遊具をネガティブに感じさせなくする。世界観の一部にする。「目に見える欠点」を見えなくさせ、「目に見えない価値」を見えるようにする。なんとパーフェクトな反転、活用、創意工夫、発想の転換。

スヌーピーもこう言っている、「配られたカードで勝負するしかないのさ」と。一見酷な言葉だけどこれは真実だ。しかもカードなのもピッタリ。昔は受け入れられなかった言葉だけど、それじゃあ、今ある全てのポテンシャルをみすみす手放すことになる。自分の可能性を信じて、変えられるものを変えるしかない。

LUCY: "SOMETIMES I WONDER HOW YOU CAN STAND BEING JUST A DOG..."
SNOOPY: "YOU PLAY WITH THE CARDS YOU'RE DEALT... WHATEVER THAT MEANS."
ルーシー「時々、どうしてあなたがただの犬でいられるのか不思議に思うわ...」
スヌーピー「配られたカードで勝負するしかないのさ... それがどういう意味であれ

1 は非常に小さい数字でありながら、非常にクリエイティブな数字でもある。0と1の差は大きい、私はそう考えている。0には無限の可能性があるかもしれないが、未定であり、何にも表れていない。その点、1は目に見える世界に出現した。創造された。決定力だ。意志だ。表れた時点で0のときにあった別の可能性は消えたのかもしれないが、具現化と現実化の力であることに変わりはない。この世に存在していなかった1人の人間がこの世に誕生するのも非常に創造的なエネルギーなのだ。

「はじめにことばがあった」と『ヨハネによる福音書』は書くけれど、なかなか印象的な出だしで忘れられない。これは、単に「言葉」という意味ではないらしい。原文の古代ギリシャ語で「ロゴス」と記されている。私にはロゴスというのが何なのか分からないし、いまいち掴みきれないが、世界の理や法則みたいな意味かなと想像する。とにかく、始まりはどれも壮大である。せっかく、1番で現れたのに、続く2番の『女教皇』はベールに隠された宇宙法則のようで、面白い。

♠︎ 1 は革命

トランプ/プレイングカードのカードゲームで『エース』は元々弱いカードだった。15世紀後半にはエースを高い役とする民間伝承があり、それが現在のように広く普及したのはフランス革命が関係する。エースの向上は、貴族階級が終わり、平民の地位が向上した新しい時代の象徴となった*2
タロットカードでも、『奇術師』最弱のカードのはずだった。元はペテン師、香具師(やし)、奇術師だったのに、今や、創造主のエネルギーを操る的なマニフェスト(願望実現)、『魔術師』、Magusとかなり崇高な地位に昇格している。数札でも各スートのエースは特別視されている。1には最弱と最強という二面性があるらしい。

これはちょうど『大富豪』というカードゲームで、「革命」が起きると弱い数字が強くなることを思い出す。3が最強に、2が最弱になる大逆転。まさにフランス革命だ。地域によって『大貧民』と呼ばれることも面白い。

♦︎ 魔術師の自信はハッタリかもしれない

自信は行動してから得られるものだという*3。自信がついてから行動しようはムリだと。そうかもしれない。自信がある人とない人では行動に移す回数が異なる。そして、行動によって得られる経験が「失敗や不安に対する耐久力」をつくる。「本当に自信がつくまで、自信があるフリをしろ」と言われるが、これも有効だと思う。ハッタリって必要なときもある。敢えてちょっとオラついたオーラを出すことがある。スピリチュアル的なオーラが見えるわけでもないが、意志の力って感じで、存在を主張するとやっぱり気圧(けお)できる。北の国には "覇気ヘア" なる髪型があるが、覇気を表しているかは別として側から見ると面白いシステムである。(あの国の男性は10種類の覇気ヘアしか選べない......いつか覇気0のロン毛があの街を闊歩する日が来るのだろうか)。ときには、自分を騙すのもいい。自信無さげにやってたら奇術師も観客を騙せない。ある意味、上手くいくと信じることだ。騙すことと信じることが重なり合ってるのが面白い。

とても寒くなってきた。猫肌が恋しい季節。(膝に乗ってほしいけど正確には腿だよね)。秋を感じられて嬉しい。書くことはあるのだけど纏まらない日々...今NO覇気ヘア月間です

I AM ENOUGH.
WHO I AM IS ENOUGH.
WHAT I DO IS ENOUGH,
AND WHAT I HAVE IS ENOUGH.

*4


*1 - link @hatsumimi yt 林修氏との対談
*2 - link エース ace wiki
*3 - link (24:34-) 自信不足のとき、やるかやらないか 
*4 - forgot the sourcesssss
keywords: magician, conjuror, magi, magus, 魔術師, 奇術師, 手品師, マジシャン







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