N°33 - 完全な自分になろうとするのではなく、自分がすでに完全体であることを知る
苦手なことも嫌いなことも何もかも全てを克服しなければならないと思っていた。それでこそ、ようやく自分は一人前になるのだと。常に自分は足りないと思っていた。まだ努力が足らない。まだ認められない。もっと成長しなければ。欠けている自分は愛されない。――でもそれは違った。今の自分を否定することだった。本来の自分を超えた別の誰かになろうとしていた。本当は、自分は常に十分だった。ありのままで、今のままでよかった。証明する必要も、自分に何かを付け足す必要もなかったのだと気がついた。
アニータの本を通して最近は色々なことに気がついてきました。
I am enough - 人が凸凹なのは、他者と噛み合うためです。欠けているように見えても完璧なんだということ。欠点は怠惰ではないのです。
以前「N°6」にて、私には統合運動障害(dyspraxia, DCD, 今は発達性協調運動障害とも)があるかもしれないと言いましたが、そうであってもなくても、私は運動(協調運動)が大の苦手で、手先が不器用で裁縫の玉留めがいつまで経ってもキツくできませんし、靴紐も解けてばかりで、ボール投げの記録は何年経っても変わりませんでした。だから体育の授業はそれはもう本当に地獄でした。跳び箱も逆上がりも一輪車もありとあらゆる体育が不得意でした。でも周りはそれを信じなかったのです。学校関係者は誰一人このような発達障害系の特性がこの世にあることを知りませんし、不得意な生徒を気にかけませんでした。私からしたらそれこそ怠慢です。その無知が責めを生み、生徒にもそういう存在を責めていいんだと学ばせてしまうのです。しかし正しい知識や理解があれば、定型と同じ基準で評価するという追い詰め方はしないでしょう。今でもTVでは笑いもの扱いですね。
彼らには「努力すれば誰だってできるようになる」という結論以外なく、私が人よりできないのは「努力が足りないからだ」、「怠けているからだ」という評価を下すばかりでした。他に出口はないのです。よってそれは通信表に響き、それは進路に響き、何回取り組んでもできない姿は人々を失望させ続けました。実はDCDはかなり発生率が高いとされています。10%とも読んだことがあります。体育が苦手な人なら誰しも経験があるように、誰も私を同じチームに入れたがらず、完全に邪魔者として扱われました。残念ながら私と同じぐらいの人は学年には見当たりませんでした(少なくとも体育の時間を共有することはありませんでした)。私には人と競争することの意義が分かりませんが、誰もゲームに負けたくないので問答無用で除け者にされるのです。だから慎ましく申し訳なく思わなくてはなりませんでした。「能力の低い私は人より価値がない、劣っている」と思うのに十分な経験でした。この時間は自尊心をどんどん削られていくのです。だから体育や運動をますます嫌いになるし、トラウマになることは明白です。根性論と能力主義の中でありのままで褒められることは決してないのですから。学校は子どもにとって外側の世界の全てです。しかし私の場合は家でも冷遇されていたのでこの世界に自分の居場所はないんだと絶望することは当然の思考でした。自分が間違っている。自分が悪い。自分は無価値だ。石ころほどの価値もない私は即刻Xぬべきだ。みんな私にXんでほしいと思っている。そうして鬱病はどんどん加速していきました。
これらの経験から、無意識的に、努力しなきゃいけない、嫌なことも向いてないこともやり続けなきゃいけない、まだ足りない、不十分だ、と責め続け、結果を残せるように証明しなければ半人前だ、未熟者だ、という思考と感情のパターンが形成されていったのです。
実はこういうこともありました。私は子どもの頃、幼稚園から小学校1学年ぐらいまでは、自分の顔が大好きでした。しかし鏡の前でニコニコしている私にあるとき母は、「えー、自分のこと好きなんだ」と冷たい視線で蔑むように言いました。「自分を好きでいることは悪いこと」であり、私が「自分を好きでいる」という認識や評価は間違っているのだと教わったのです。ナルシシズムと見なされ、それは彼女にとっていつの世も蔑むべき最大の悪徳でした。子どもは誰しも親から嫌われたくありません。それは情緒的な繋がりや基盤を失うだけでなく、生存に関わることを知っているからです。彼女は私に嫉妬していました。下に短いデニムを履いて、丈の短いワンピースとニーハイソックスを履いている中学生のときも、「脚を出すのが好きなんだね」と嫌味を言われました。要は魅力的なアピールをするなということです。裏を返すと、魅力的であると評価していることにもなります。だから嫉妬なのです。肌を出したいというより、その服が可愛いから好きだから着たまでのこと。男性を誘惑する意図はないのです。私の光は彼女の傷のトリガーです。受け取り方はその人がどれだけ自分への愛に向き合ったかによります。彼女は明らかに彼女自身のことが好きではありませんでした。そして彼女もまた、母親(私の祖母)から嫉妬されていたことを私に度々愚痴をもらしました。これは子どもである私に「慰めろ」という意味です。自分の感情の面倒を自分で見るのではなく、感情のサポートをしろと子どもに要求するのです。これはよく知られた毒親あるあるの一つで、親子関係を逆転させるのです。だけど私にしたことは一切非を認めず、記憶もないの一点張りです(ケアテイカーであり、カサンドラ)。
稀に両親は私の容姿を褒めることもありました。その一貫性のなさに尚更混乱しました。醜いのか美しいのか、自分は一体どっちなのだろう。ここで、評価を下しているのはいつも他者であることに注目してください。そこから私が導き出したのは、「周りが可愛いとか綺麗と言ってくれるときにだけ私の存在には価値があり」、「見た目が良いときだけ私は愛されるに足る存在なのだ」という結論でした。これが「条件付きの愛」というものです。
よって私は、自分の容姿を必要以上に注目することになりました。今はどう映っているだろう。愛されていないのに生きているのは意味がわからないことだったので*、愛されるか愛されないかは私にとって死活問題であり最大の関心事でした。生きていること自体や存在自体を否定され続け、「全く愛されてこなかったところから、容姿という条件さえ満たせれば愛されることがある」というのは、私にとって魅力的で、光明で、唯一の生き残る道だったのです。
それから鏡で何回も食い入るように細部を確認したり、逆に街中にある鏡や反射するものを一切見ないように完全に避けたりするようになりました。常に不安がベースにあり、サバイバル・モードだったのです。これはメイクをするようになった高校生から大人時代が一番顕著でした(メイクは悪ではありません。元々オシャレすることが好きなのです)。
しかし困ったことに体重が増減することもあり、肉割れができるほどでした。太っているときと痩せているときでは周りの反応や対応が全く異なりました。これは一概には言えないのかもしれませんが、理論上「私の内側が外側に反映されている」ので、私が自分を魅力的でないと評価すればするほど、周りの人間から受け取る評価もそれにならうのでしょう。
特に肉割れ(stretch marks)ができたときはこの世の終わりだと思いました。誰もこの身体を愛する人はいないだろうと思ったのです。もう愛されることはなくなった、という絶望でした。痛々しい真っ赤な凹凸は今では時が経って白くなっています。それはつまり勲章でした。時が経つにつれて少しずつ目立たなくなってきたこの跡は、歴史なのです。
♥︎♥︎♥︎
*「愛されていないのに存在していることの意味が分からない」と私はずっと思っていました。それが愛されるために何かをする方向に進ませたのですが、上記の言葉を言い換えるならば、万物の存在は本来無条件に愛されているので、愛されないまま存在することはなく、矛盾しているのです。私の魂はそのことを知っていたのでしょう。
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