N°44 - 時代

sep.10

時代と共鳴しないことほど孤独な不幸はない。思想や芸術が時代に理解されないまま死んでゆき、死後になって評価されるという例は数多くあるが、生きている/いた側としてはこんな皮肉はない。たまったもんじゃない。私たちは誰しも何がしかの信念を持って生きているわけだが、その時代の世界や社会から共感されないからといってじゃあ自分の信念や感性を曲げるのか、捨てるのか、という葛藤が出てくる。でも、曲げらんないね結局のところ。共感されないからといって主張することに意味がないのかと言ったらそんなことはないし、それこそ時空を超えて多くの共感を得られるのかもしれない。私たちが大きなタペストリーの中のそれぞれ一本の糸だとして、それはしがない一本に思えて、やはりそれは全体に対する何らかの影響を持つのだ。私はそう信じている。拠り所のように。そうじゃないとやってけないね。私自身の思想は共感されないことの方が圧倒的に多い。分かり合えないことの淋しさには辛いものがある。私はなにも喧嘩したいわけじゃない。しかし、そこから、人間はやっぱり共感を求める生き物なんだということを肌で実感させられる。自分が圧倒的少数派の場合、あるいは批判や無視をされる場合、自分の感性が間違っているのかと思わされたり、世界に対する自分の影響力の無さ、端的に言えば無力感をこの身で味わうのだ。それは周りの人間との繋がり、社会、世界との繋がりが断たれているように感じることで生じる痛みだ。裏を返すと、なにかと繋がることこそが喜びなんだと思う。精神的、肉体的、感情的な繋がりを他者との間に築けたとき、わたしは一人ではなくなる。いや、合わさって一人になる。それが結局のところ、生命の一番の幸福だと思う。物理的に一人でも、『隠者』の solitude が孤独ではないのは、自分と繋がっているからだ。

Cause I, I'm in love/With my future/Can't wait to meet her/And I, I'm in love/But not with anybody else/Just wanna get to know myself/
I know supposedly I'm lonely now/Know I'm supposed to be unhappy/Without someone/But aren't I someone?/I'd like to be your answer/'Cause you're so handsome
- Billie Eilish, my future*1

♣︎ 世界から飛び出た視点

サン=テグジュペリの思想は理解されなかった。それどころかかなりの批判を浴びたようである。地球が一つの船であるという思想は戦争中に受け入れられるものではなかった。理想論だと思われたのだろうか。だけど時を超えて私は容易に理解できるのだ。時代を超えて彼に繋がることができている。今でもそれは理想だと片付けられてしまう。でも理想なくして何を描けるんだろう。どこに進もうというのだろう。確かに今すぐに叶えられるものではないのかもしれない。色んな人の思惑によって世界は形作られているという苦い事実は百も承知だ。これが11h、天王星、水瓶座の象意かとまざまざと突きつけられた。近くでは孤独でも遠くでは繋がっている。だけど私には全く自覚がなかった。私自身は別に自分の考えが革新的だとか先進的だとか特別なものだと思っているわけじゃない。本当に。私にとってのごく普通の感覚だ。だけどそれが社会や世界から、周りの人間からすると受け入れにくいものなんだということだ。これじゃまるで世界を相手に喧嘩売ってるみたいに、世界が敵なんじゃないかって一見思えてしまう。断絶されたように。既存の社会への反発と、既存の社会からの反発。でも革命にはそういう変化が必要だ。日本は内側から革命が起きることが少ないようと言われているが......。ライフパスの9も、箱の外を出ている。dainmt先生が解説していた。

♣︎ サン=テグジュペリが外の世界との繋がりを持てなかったことが、『星の王子さま』の執筆に繋がったことは明白である

先に言ったように、あれは自分と繋がる物話だ(N°41)。自分の心、自分のインナーチャイルド、その守るべき繊細な愛の世界が、ちいさなちいさな「小惑星B612」であって、みんなにその星があるが、彼は「王子」という「過去の自分」に繋がりを求めるほかなかった。外で得られなかった共感を内に求めた。それは自然な流れである。自分の、最も良き理解者たるは(過去の)自分しかいないのだから。だから「ぼく」がどんな絵を描いてもわかってしまう。帽子にしか見えない絵を見て蛇のお腹の中に象がいることもわかってしまう。言葉以上の繋がりが持てている。さらに、これは王子が「心の目で見ている」ことも示す。それは作者の幼少時代の姿であり、概ね私たち皆がそうだったように子どもとは純粋な生きものだからだ。彼は現代に繋がらず、過去の時代に繋がった。

♣︎ 時代を象徴する人間の幸・不幸

逆に、時代と合致した人間は幸運である。少なくとも恩恵はある。Billie Eilish (astro-databank)は射手座の太陽金星冥王星がゆるーい合で、前者2つはMC=水星の合とも繋がるが、まるで彼女と彼女が表現しているものが射手座冥王星世代の象徴の役割を果たしているように思えなくもない。仮に優れてなくとも分かりやすい例として影響力を持ち印象に残るような人というのが私の言いたい時代を象徴する人の定義だ。最初はウィスパー過ぎて歌って言えるのかとか鬱病はファッションなんじゃないかという批判もあったし私もその偏見あったけど鬱系の曲Everything I Wantedでも聞けば本心だって分かる。SN=太陽合がそうした反感やアンチテーゼ的な表現になりそうだけれど。有名人やアーティストは集団の意識というものを特に受け取っていると思うが、まさにそうで、「私も全く同じこと考えてた」ということが歌詞に出てきたりする。冗談抜きで。だから若いときに好きになった音楽はずっと好きでいたりするのかな。自分の属している集団を表しているから。自分の時代の象徴でもあって。必ずこういう存在が各世代、各時代に用意されているのかなと思ってしまう。

三島、あの人とおんなじ問題意識を持っているのは1930年代生まれの方たちですよね。だいたい敗戦の時にティーンエイジャーだった人ですねこの人たちは。みんな戦争で死ぬってこと男の子の場合、みんな覚悟していたわけであって、そのことに対して特にですねもう自然と受け入れていたっていうことが多いわけですよ。国運と個人的な運命が完全にシンクロしているっていう経験を子供の頃持ってるんですね。それが8月15日にばくってなくなってしまって、国は国、個人は個人で国のことはもうどんなんかわからないってことですね。もうアメリカの属国になってしまって、主権も持たない国家になってしまった。それをどうやって取り戻そうかってですね。もう一度、国の運命と自分の個人的な運命がリンクしてるというあのある種のこう陶酔感ですか高揚感のようなものをもう一回経験したいっていう欠落感みたいなものっていうのをこの世代にわりと固有であるんです。- 内田樹

これってタロットでいう『運命の輪』なのか『世界』なのか。この一体感、国運と完全にシンクロしているというのは強烈な体験だし、それによって安心感、恍惚感、高揚感、幸福感を感じることは私にとって想像に難くない。ある日を境に一瞬にして失われるというのもまた強烈な喪失感で、自分の一部、自分の運命をもぎ取られたのも同じだ。ここで三島好きなん?と思われそうだけど、小説は1つしか読んだことがなくて偉そうなことは語れない。ファンというよりミューズ。インスピレーションの元になってる。何も知らないときはメディアのフィルターで見ていたから過激な思想家かと思っていたけど、文学に触れたらそんな偏見は消え去った。(勿論全部が全部共感する思想じゃない)。といってもエッセイばっかり読んでて小説は『美しい星』しか読んだことのない変な触れ方だ。個人的に、彼の山羊座や乙女座的なシビアな物の見方が、ファンタジー好きな私には読むのが辛くなってしまうことから小説は気になるけど向かないんじゃないかと思っている。人間の醜さを見過ごすことができないという潔癖さを感じるし、もちろんそのフィルターから見る彼の分析は非常に優れてて深いし、私も人間がそういう「きたなさ」を持つという事実は受け入れてる。だけど非現実の世界でそれに触れるのは心が沈むから嫌なんだ。私はもっと人間に希望とか愛を見ていたいから、そしてそれは私の現実世界への見方を決めるから結構重要なところで、これ以上私は悲観的になりたくない。美しさを思い出させてほしい。

「お前は偶然というものを信じるかね」と聡明な父親は言った。「偶然という言葉は、人間が自分の無知を糊塗しようとして、尤もらしく見せかけるために作った言葉だよ。偶然とは、人間どもの理解をこえた高い必然が、ふだんは厚いマントに身を隠しているのに、ちらとその素肌の一部をのぞかせてしまった現象なんだ。人智が探り得た最高の必然性は、多分天体の運行だろうが、それよりさらに高度の、さらに精巧な必然は、まだ人間の目には隠されており、わずかに迂遠な宗教的方法でそれを揣摩しているにすぎないのだ。宗教家が神秘と呼び、科学者が偶然と呼ぶもの、そこにこそ真の必然が隠されているのだが、天はこれを人間どもに、いかにも取るに足らぬもののように見せかけるために、悪戯っぽい、不まじめな方法でちらつかせるにすぎない。人間どもはまことに単純で浅見だから、まじめな哲学や緊急な現実問題やまともらしく思える現象には、持ち前の虚栄心から喜んで飛びつくが、一見ばかばかしい事柄やノンセンスには、それ相応の軽い顧慮を払うにすぎない。こうして人間はいつも天の必然にだまし討ちにされる運命にあるのだ。なぜなら天の必然の白い美しい素足の跡は、一見ばからしい偶発事のほうに、あらわに印されているのだから。恋し合っている者同士は、よく偶然に会う羽目になるものだ。それだけならふしぎもないが、憎み合っていて、お互いに避けたいと思っている同士も、よく必然に会う羽目になるものだ。この二例を人間の論理で統一すると、愛憎いずれにしろ、関心を持っている人間同士は否応なしに偶然に会うことになる。人間の論理はそれ以上進まない。(後略)」/ p.106-107 美しい星 三島

♣︎ 時代で共有する感性は他の時代と繋がるか

芸人の永野さんはお笑いとして脚色しているところはあれど、同じく月魚座の麻月ミライ先生による、「魚座は感性だけは人に合わせられない」という解釈があるから面白いなと思って見てる。狭い歩道で大柄の男とすれ違うとき、「こいつは俺が小柄だから退くと信じてる。その信念を崩してあげましょう」って退かす気持ちも笑えるけどわかる。
個人的には、やっぱり昔の曲の間奏や前奏の長さにはどうしても耐えられない。そもそも滅多に聞かないがそこにギャップを感じる。Michael Jackson なんて短い方だよと言われたが早送りしちゃう、あるいは諦めちゃう。時代によってテンポが違う。これが個人の生き方にどこまで影響しているんだろう。tempo は時だから。だって、私みたいな世代は、MDやMP3へとどんどん移行した移り変わりの早さをティーンエイジャーで体験してるから音楽は初めから「データ」という冷めた認識だし、分からないことがあったらGoogleで調べればなんだって瞬時に出てくるし、世界中の人とのやり取りが携帯を介してできるのは当たり前で、SNSがすぐに取って代わることも昔から慣れた現象で、不景気しか感じたことがなくて、既存の社会にある非効率や非合理性や機能しなくなった古い慣習に直面するとなると――タイムやコストのパフォーマンスを意識するのも必然的な流れのように思えてくる。私自身はそんなに合理的に時間を節約してないと思うが自覚してないだけかもしれない。でもこれだけ先人たちのデータが揃っていてそれにアクセスすることが容易なんだから、そりゃ効率的に勝ち筋を見つけ最短で成功しようとする人がうじゃうじゃいるのは頷ける。ライフハックっていうかね、頭でっかちや知った気になる危険性はある。スピーディーなレスポンスが当たり前だった分、遅延に対する許容度は結構低いかもしれない。無駄が嫌いで。生き急いでる認識はないが、これが私たちのテンポだと思う。速いだけ。私たちは「情報」を欲していて、欲しい情報があればそれでいい。情報が特に知恵の形で、それを得ることを目的としている場合、TVより倍速視聴できるTVerで観る方がそりゃいい。なんとなく観るにはTVでいいけど、情報が欲しいと思って主体的に動いている場合だから。そうしたテンポが他の世代からすると「悟り世代」とか「忍耐力がない」、「すぐ諦める」、「執着がない」という評価になる。いいか悪いかじゃなくてそりゃそう受け止められるのは理解できる。あるがままに。あっちから見ればそうなるし、こっちから見ればそうなるねって。
逆に、過去のものがリバイバルするのは珍しい現象ではないが、喫茶店、スナック、昭和歌謡、ガラケー、カセットテープ、VHS、レコード、フィルムカメラなど、今じゃない時代を愛し繋がるのも共通して私も持つ感覚だ。
親と比較すると、レコードで味わうゆとりとか、駅の掲示板に書いて待ち合わせしたり、分からないことを調べるのにはエネルギーがいる時代をリアルタイムで経験した人たちとはそりゃスピード感やガッツが違うわなと思わないでもない。彼らは私たちよりも楽観性も持ち合わせているような。まあ違うから面白いんだ。ネットなんて「いつでも繋がる場所がある」と言ってるようなものだ。私は過渡期生まれだが、その下の水瓶座に天王星や海王星を持つ世代は特徴的である。

まあそうか、結局のところ一人一人がそれまでの時代の歴史を背負ってるし、それらの結晶ではあるんだね。

われわれが、ただ恋愛といってるものも実はほんとうに、われわれの本能から出て男が女を愛し、女が男を愛するというふうに、まるで動物が引き合うように愛しているのではないので、人間の恋愛は動物の恋愛と違って、みな歴史、社会、環境、いろいろなものに制約されているわけです。われわれが一つ恋愛すると、その恋愛の中に全人類の歴史、全人類の文化が反映しているのです。これは、われわれという存在が、ちょうど歴史の一端に大ぜいの先祖と、大ぜいの文化の趨勢の上に生まれてきたのと同じに、今あなたないし私のする恋愛も、決してひとりでまるで天から落ちかかってくる隕石のように、恋愛が始まるというものではなく、みな何ものかに規約されているということができます。p.7-8 新恋愛講座 三島

♣︎ 思考/思想/信念は時代を跨いででも生き続ける。それは悪い表現にもなる

例えば、子ども時代から持ってきた信念を持ち続けることと同じで、それが『ソードの8』や『悪魔』みたいに、自分自身が自分の幸せを妨げていることもある。そしてそれを打ち破るのが何度も言うように『神の家』だ。前者の2枚というのは「自分でコントロールできる/した思考」だ。だけど『神の家』は「自分のコントロールが及ばない/理解しきれない思考や概念」によって囚われの観念を鎖を断ち切ることだ。
『ハリー・ポッター』のダーズリーおじさんはこのブログタイトルの下にあるように「魔法なんてあってたまるか!」と言った。でも彼は魔法が存在することを明確に知っている。魔法が恐ろしいのは、彼のコントロールが及ばない力だからだ。神の家に描かれた雷と同じに。それによって自分は支配されてしまうのではないか、虐げられて、不利な立場になるんじゃないかって恐れている。悪い表現しか見えていない。簡単に言えば、「自分より強い力を恐れている」。だけどハリーの両親が魔法使いで、悪の魔法使い(ヴォルデモート)によって死の魔法で殺されたこと、なのにか弱いはずの赤ん坊のハリーが母親の「愛」(こんなことを言うと野暮だが、あまり知られていないがよく知られている、誰でも使える魔法だ)によって奇跡的に生き残ったことを知っている。これは「恐怖」の象徴だ。新たな可能性が見えていない。そして妻ペチュニアは、妹リリー(ハリーの母)が魔法使いの能力があったのに対し自分にはなかったこと、それが発露するまでは仲睦まじい姉妹であったこと、最終的に魔法によって妹を失ったこと、その嫉妬や複雑な感情から同じようにハリーを魔法の世界から遠ざけた。ハリーが魔法を学べば力を持ち、やがて彼らを凌駕する強大な力を持つことを知っていて、且つ自分たちが虐待したことに対する復讐をしてくるかもしれないと恐れている。落雷の「罰」が下るのではないかと(ハリーの額には生き延びたときにできた稲妻型の傷がある!)。プラスして彼らは(特にダーズリーは)、「ハリーが幸せになること」が何よりも嫌いだから、魔法の世界が彼を幸せにすることも予感している、最悪な虐待のケースだ。そう、私がなんとなくハリーを例に用いたのは素晴らしい偶然だ。セレンディピティだ。だって彼は階段下に作られた物置に「閉じ込められている」んだから。「無力」な状態に置かれてる。何の能力も価値もないと思わされている。それが先のカードたちすべてに共通するイメージだってことに気づくだろう。

卑近な例では私のガチャガチャだ。最初はガチャなんて買ってたらキリがないし、持っててどうするの? ただのプラスチックじゃんと「大人意識」が私を止めていた。心ではミニチュアって好きだし楽しそうだなって思っていた。これは、子どもの時におもちゃを十分に得られなかった鬱憤や選別権がなかったことから「私は楽しみを禁じられている存在だ」と受け取り、12歳のときに「いつまでもシルバニアのドールハウスが欲しいなんて思っちゃダメだ。もう子どもじゃないんだ。卒業しなきゃいけない、未練を断ち切るんだ」と土星意識で禁じたときから持ち越していた「考え」だった。そうやって「正しさ」で自分を縛っていたことがいくつも見つかった。でも5hてんこ盛りの私は純粋に楽しまなければならなかった。子どものように遊び好きで良かったのである! それに気づいた私は自分が楽しむことを許可した。それが自分を幸せにしたことは言うまでもない。

次に、寺島しのぶさんの例を思う。彼女は「手放した」ことによって女人禁制の世界で念願の歌舞伎の舞台に立つことができた。言うまでもなくずっと彼女の悲願だった。本当なら仲のいい中村獅童氏といえども、男性からオファーされて環境が整うことを以前なら拒否したかったと思う。彼の優しさはわかるけど、憐れみでやられているようでプライドが許さないって。実力で認められたいって。舐めないでって。(フランスの血を持ってきて見返してやるって野望はまだ持っていると思うけどそれは息子の話だ)。彼女が自分の野望を「諦めたときに」ちょうどそのオファーが来た。彼女自身がそう言ってる。野望は突然にあっさりと実現した。それは、「自分の力だけ」で叶えようとしないで、力を抜くことによって、「時代、宇宙、運命のような人智を超えた強大な力」が一緒に関与することを許したからだ。だからスムーズにいった。運命と戦うのではなく協調した。そこ。敵じゃない。味方だ。

♣︎

ここからは少し余談だ。ティーンですらないけどt.A.T.u. は今聴くと懐かしいなと思ってる。結構憶えているもんだ。これは大人になってから発見したやつだが、『How Soon Is Now?』はタトゥーのカバーの方が好きだ。結構暗かったのかなこの時代って。キンキンした声ではあるんだけど妙にクセになる声でもあって。Malchik Gay, Not Gonna Stop Us, Show Me Love とか好きで聴いてた。私のティーン時代に聴いた曲は暗かった。
30 minutes (EN)』なんて、ロシアの独特な暗さ、旧ソ連が共有して持つ冷たい芸術というか、アメリカとヨーロッパから出ないだろこの雰囲気はと思わされる。(...出るの?) ロシアの歌手が世界的にここまで人気になることなんてなかなか稀有なんじゃないのかって今にして思う。少なくとも私は知らない。一時期、数年前かな、ロシア語とポーランド語が私の中でプチブームだった。ヘアスタイルとかメイクアップもなんかちょっと古くて(ごめん)、衛生的っていうか、きっちりした美を好む印象。独裁的な国とか社会主義国の建物って独特の味わいがある。冷たい。決して住みたいとは思わないけどそれを面白いなと思う。(少なくとも表面上)彼らは世界の陰を担当しているみたいで。

話を戻すと、人間は心臓が止まってから30秒間脳波が確認されて、走馬灯を見ているかのような時間があるらしい(BBC)。こっちは秒だけど同じ30だし、語感で分にしているのかもしれないし、それを思い出しちゃう。まるで符合してないかって。メリーゴーラウンドなんて人生を表しているものの象徴だが、走馬灯ってそのままだし、誰だっけ、「乗っている子どもたちが外にいる大人たちに必ず手を振ってしまうのはなぜなんだろう」と言ったのは。確かに不思議な現象だ。馬が上下するのは人生のアップダウンなんだね。なのによくもまああんなにも楽しく乗れたもんだ。それが魂の感覚ってやつかもしれない。結局のところ正負の経験両方を楽しんでいる節がある。(それはもちろん高次の高次の自分であって、感じてるのは私であって私でない)。昨日のポエムと同じで、結局どっちも知らなきゃ世界を知ったことにならないし、人生を生きたことにもならない。言い過ぎかな? でも真価がわかるためには比較しなきゃならない。他者との違いに遭遇するから自分の個性に気づく。天秤座のように比べないと自分を取り戻せないっていうかね。背後の「自分」に気づく。明確になる。世界の認識を深くするためには両端が必要なんだという。冥王星/蠍座/8hってものは、当たり前だけど深い。極限。怖ろしい。だけど、これほど繋がるエネルギーもないんだろう。そのもっとも高次の表現がツインフレーム的健康な、特別な一者との強い繋がりだ。縦軸のような深さ。

太陽が昇るのは嬉しくて、太陽が沈むのは悲しいのはなんでなんだ。なにが悲しいのか。元気であってもちょっとしんみりするのは。それは身体の機能が夜に備えているから? 活動的でなくなるから? 太陽が悲しんでいるわけじゃない。自転だ。でもとてもそう見えない。つい忘れてしまう。太陽に自分の気持ちを投影してるだけだ。太陽に代弁してもらってる。というか、自分が潜在的に持っていた悲しみが、夕日を見ることで引き出されたんだ。太陽は必ずまた昇るから、それで自分の人生を慰めている。王子はきっとそうなんじゃないか。考えてみたら24hで1回転ってなかなか速い気もしてしまう。「地球は回る/君を乗せて/君を隠して」なんていい言葉なんだろう。そうか、「あの地平線/輝くのは/どこかに君を隠しているから」なんてまるまる『星の王子さま』イズムだ。彼はサン=テグジュペリの大ファンだから。いつかきっと出会う、ぼくらを乗せて

*1 - youtube video of 'prime day show' version is beautiful, here





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