N°41 - 2人のサン=テグジュペリ L'ENFANT, LE PASSÉ, SE5

Sep.28 - 
ちいさな王子は、幼少期のサン=テグジュペリを表しているのでしょうか?(1-5章まで解説)

ならば彼は子どもの自分に出会った――

『星の王子さま』は、子どもだったレオン・ヴェルト、世界中の子どもたち、そして今は大人であるかつての子どもたちに捧げられていますが、同様に、かつての子どもであったサン=テグジュペリ本人にも捧げられたのではないでしょうか。インナーチャイルドを癒すように。

Toutes les grandes personnes ont d'abord été des enfants, mais peu d’entre elles s’en souviennent. (Dédicace) *1

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I. 6の羅列から始まるジャブ


1章目、物語の始まりは、「ぼく」がの頃に読んだほんとうにあった話』という本に出てくる大蛇ボアの話です。とぐろを巻いた蛇のボアが怪獣に巻きついて今にも食べそうな場面の絵を「本から書き写した」として載せています。が、そのすぐ後にぼくが初めて描いた「一番目の絵」として『ゾウを呑み込むボアの絵』を描きました。それはただの茶色い帽子のように見えます。そもそも、書き写したボアの方は明らかに黄色がかっているので見た目が異なります。いじわるなほどミスリードです。――なぜ、ボアの話が必要だったのか。それも序盤も序盤。これはかなり重要な伏線です。日本語公式サイトのキャラクター紹介*2によると、作者のサン=テグジュペリは実際に6のときにこの本を読み、『星の王子さま』を書く6年前にサハラ砂漠に不時着しています。

ボアは獲物を噛まずに丸呑みする種類の大蛇です。王子は最期「ヘビ」に自分を噛ませますね。そしてその体はどこにも見つかりませんでした。ひょっとして、そのヘビが王子を丸呑みしたことの隠喩でしょうか。「獲物を消化するのにヶ月かかりますが、そのヶ月のあいだ眠りどおしに眠るのです」666、このように同じ数字を繰り返す箇所が散見されます(後に解決します)。この帽子に見える絵が、ベルギーのシュルレアリスムの画家ルネ・マグリットの「パイプの絵」に「これはパイプではない」と文字を入れたかの有名な作品『イメージの裏切り』をなぜか思い起こさせるのは私だけでしょうか。*3

語り手は画家になる「すばらしい将来」を諦めて、飛行士になります。これは「子どものモーツァルト」に通ずる部分です。ところで、アドルフ・ヒトラーには芸術の才がありました画家になる夢が破れなければ、もう少し世間の批評に愛があったならば、彼は世界に破壊ではなく愛をもたらすことを選択したかもしれません。だって、心は花のように繊細ではかないのですから。ナチスドイツがフランスでも猛威をふるっていたことをサン=テグジュペリは肌で知っています。これは大人への警告です。しかし、帽子に見えるボアの腹の中を透けて見えるように描こうがおとなたちにはどうだってよいことでした。「そんなことより、地理、歴史、算数、国語のほうがもっとずっと大事だ」というのです。この順序には意味があるかもしれませんね。地理は後に説明するとして、歴史は戦争を経験した作者にとって皮肉に思います。彼は熱心な活動家であったようです。それらを読んでないので何とも言えないのですが、私の意見としては、歴史は勝利者が書いた主観的なプロパガンダになり得ます。それに、歴史から大切なことを本当に学んでいたとしたら、戦争は繰り返されないはずですからね。

確かにね、地理の勉強はとてもぼくの役に立ちましたよ。なにしろ、おかげさまで、一目見ただけで、アメリカのアリゾナ州と中国の違いが分かるようになったのですからね。真っ暗闇で、どこを飛んでいるか分からなくなってしまったりしたら、なかなか役に立つものですよ、地理という代物は。

実はここは、地理の勉強はそれほど役に立っていないという皮肉で間違いないでしょう。アリゾナ州と中国の場所を飛行機乗りが間違えるはずがなく、真っ暗闇で何も見えない中を地理の知識がどこまでカバーできるのかと指摘されています。『人間の大地』でも実際の飛行には地図にない情報が重要であることを先輩に教わっています。山脈自体よりも平原の端に生えている三本のオレンジの木のことや、そこに住む農夫やその妻のことを口伝されるのです。


II. 「目に見えないもの」テスト


第2章になると、「ぼくは、心を開いて話をする相手もなく、ずっと独りぼっちで生きてきた」と明かします。ぼくの年齢が分かりませんが、我々の知っているサン=テグジュペリは親友や同士がたくさんいたのでここには相違がありますね。ただしそれは「年前までのことです」と前の文を否定します。また6が出てきました。クリエイターとして作品を効果的に印象づけるため合わせただけの単なる手法でしょうか?

ここから六年前の話が展開します。六年前、ぼくはサハラ砂漠に不時着しました。エンジンの具合が悪かったためです。飲み水が一週間あるかないかの危機的状況の中、一人で修理するしかありません。最初の夜は、人の住むところから何千キロも離れた砂の上で眠りにつきます。そして明け方、不思議な小声によって起こされるのです。

「すみません......。ヒツジの絵、描いてよ」

それが、王子との出会いでした。

これまでお腹の中が見えないボアの絵(通称、1枚目の絵)を大人に見せて「テスト」してきましたが、彼らは一様に帽子と答えるばかりでした。そうなると彼はボアのことや星のことを一切話すことなく、大人の程度に合わせてトランプなどの話をしてあげていました。そうして心を閉ざしてきたのです。そんな経験がありますから、ヒツジを描いたことのないぼくは、手始めにいつもの試験として「お腹の見えないボアの絵」を描きます。するとどうでしょう。

「違うよ、違うよ、ボアのお腹の中のゾウなんか、かいてもらわなくていいよ。ボアは危なくてしょうがないし、ゾウなんか場所を取ってしょうがない。うちはものすごく狭いんだ。ヒツジが要るんだよ。ヒツジをかいてよ」

と、それまでぼくが出会ったどんな大人たちが誰も言い当てられなかった中身を見抜いて返します。この試験とはなにか。それはつまり、目に見えないもの」を見える能力があるかどうかをはかっているのです「目に見えるもの」を「目に見えるものとして」でしか見ることのできない人間は、ぼくにとって心を開いて話す価値のない存在です。メタファーや寓意とは、表現の奥に隠れた真意のことですね。「表現」という漢字も express / expression という(英仏共通)単語を見ても、内面のものを外に表すことをいいます。エクスプレスといえば新聞名に使われたり、荷物の配達便、急行列車も意味しますが、偶然ですか? 彼の本職は配達員です。MC双子座に相応しい。語源は press out (押し出す) です。プレスは報道機関、定期刊行物、圧縮機などの意味を持ちますが、「プレス機にかけられる」という表現が『人間の大地』でありました(N°39)。このように、作品に仕掛けが散りばめられているのは読者への「テスト」かもしれません。

話を戻しましょう。ところが、肝心のヒツジの絵を描いても王子はなかなか受け取りません。やれ「ひどい病気にかかっている」だ、「これは荒っぽい種類」だ、「歳を取りすぎている」だ、文句をつけるのです。そこで王子は機転を利かせて、空気穴のある箱を描きます。この中に希望とするヒツジが入ってると投げやりに渡すのです。すると王子は「これこそほしかったものだ」と喜びました。王子には中を透けてやる必要はありません。王子には中身が見えるのです

III. 非現実的な飛行手段の意味


3章に入り、王子は地球以外の星から来た不思議な男の子だと判明します。彼は飛行機を知りません。しかし「これに乗ったんじゃ、そんなに遠くから来れるわけはないな......」と意味ありげに呟くのでした。彼は地球人から見た宇宙人です。この発言だとまるでこの時代の飛行機より高度な技術を持っているかのようです。実際、王子は星々を易々と旅してきましたから。作者は文章や絵に徹底的にこだわったそうです。その配置も細かく指定して出版社に嫌われたほどだとか。私の読んでいる平凡社ライブラリーの電子書籍版には、献辞より先に、タイトルのすぐ後にまるまる1ページ割いた挿絵があります。添えられた文章は作中に出てくる「自分の星から抜け出すのに、王子さまは渡り鳥の移動に便乗したとぼくは思うのです」箇所。ここだけやけにファンタジーですおかしいですね、作者は飛行士なのに専門分野であるはずの飛行方法がなぜ、渡り鳥なのか。隕石とか火球とか、もっとありそうなものに運ばせてもよいはずです。だけど彼はそうしなかった。
私の仮説はこうです。「ちいさな王子」が「昔の作者自身」もしくは「インナーチャイルド」で、バラが妻「コンスエロ」なら、王子は「過去」から飛来してきました。まるで未来の自分を救うかのように。だとするとここでリアリティは要らないのです。先ほど王子は「これじゃ、そんなに遠くから来れないね」と酷評しています。それは物理的に実現可能な未来の飛行法の話をしているんじゃなくて、過去から現在へ「時空を超える旅」だからです。「ほんとうにあった話」です。この昔がいつの時代のことか、子ども時代を指すのかは分かりません。そういえば、彼の恋人を示す金星は蟹座で、妻を表す月は獅子座に位置していますのでバラの性格は納得のいく描写でした。月は作者自身の心や幼少期の状態も示しますが、この月は11hの終わり、専門的に言えば12hに入居しているので「魚座」的な性質を帯び、結果としてそれは王子のように繊細で、その惑星は彼の「心の世界」そのものであり、自信家のバラのように内に秘めた愛と優しさがある作者の儚いパーソナリティの一面が示されています。日本語公式サイトによると作者は子どもの頃「太陽の王さま」と呼ばれていたので獅子座の月は納得ですし、太陽の蟹座とはミューチャル・リセプションになり、このライツは連携します。Parfait.

再び話を戻しましょう。ぼくは、描いたヒツジを繋いでおく杭や綱も描いてあげようかと提案しますが、「とんでもない」とすぐさま却下されてしまいます。杭や綱は不自由の象徴です。これでは大切な心の領域に大人のルールや管理といった力が及んでしまいます。

「つないでおくだって? とんでもない!」
「だけど、ヒツジををつないでおかなかったら、ヒツジは好き勝手に歩いていって、いなくなってしまうよ......」
  すると、王子さまはまたしても大笑いしました。
「だけど、いったいどこへヒツジが行くっていうんだい?」
「どこへだって行くさ、どんどん前に進んで......」
  そこで、王子さまはまじめな顔で言いました。
「かまうことはないさ。とっても狭いんだ、ぼくんちは」
  そして、たぶん、少しばかりさびしそうなようすで、王子さまはつけ加えました。
「どんどん前に進んだって、そんなに遠くへは行けないのさ」

最後、ヒツジの絵を欲する無邪気さから一転、物憂げな王子という印象が初めて語られます。

IV. 数字と服装は大人への罠


4章、王子の星は一軒家サイズだと判明します。3章の終わりでは、小さな星であることを悲しく言いますよね。でも、ぼくからしてみれば小さな惑星がいくつもあることは飛行士として当然の知識でした。ここに捉え方の差異があります。

「ぼくが描いた、いちばん出来のよい王子の絵」は鮮やかなコートを着てサーベルを持っていますが、後の絵には派手な装飾がありません。しかし、ぼくは王子の絵が上手く描けないので少し間違ったりしますと弁明しています。「もっと大事なことについても、ぼくは間違うでしょう」。それをそのまま受け取るなら、この章で説明された、1909年に小惑星B612を観測したことを発表したトルコの天文学者の「変わった衣装」と関連はないことになりますが、いかがでしょう。いかにも特徴的な装いに隠された真意を読みとこうとしたくなる気持ちも分かりますが、服装にこだわって中身を見ようとしない大人の読者への皮肉にも捉えられますよねなぜって、「大事なものは目に見えない」からです。その天文学者が「ヨーロッパの装い」をしただけで翻って1920年に発表が認められたというくだりがあるように、大人は目に見えるものや数字を重要視していますぼくはB612という数字も大人を納得させるために提示したとありますから、同じ数字の繰り返しは作者による罠かもしれません危ないところでした。なかなか手強い作者です。お腹の中が見えないボア」も、「中にヒツジが入った箱」も、見えないところこそ重要であることのメタファーです。

しかし、もっと大事なことを間違うとは何を指すのでしょうか? ぼくは既に「箱の外を見ただけで中のヒツジが見える人間ではない」、「歳を取りすぎた」、「数字のことしか頭にないような人間になるかもしれない」といいます。その前の言葉を見てください。「それでもね、僕を許してくれなくてはいけませんよ」と子どもの読者に語りかけます。「ぼくの親友の王子さまは、説明を全然してくれなかったのですから。たぶん、自分と同じような人間だ、とぼくのことを買いかぶってくれていたのでしょう」。私は今ここに太字をつけました。自分と同じような人間、つまり、過去の自分だと仄めかしているではありませんか

けれども、もちろん、人間が生きる上でなにが大切か分かっているぼくたちには、番号なんてどうだっていいのです。

ぼくは、本当はこのお話を「むかし、むかし」というお伽話の形式で書き出したかったと吐露します。

「むかし、むかし、王子さまがおりました。王子さまは自分の体より少し大きいくらいの惑星に住んでいました。王子さまは友だちがほしくてしかたありませんでした......」(中略) でも、そんな書き出しにしていないのは、ぼくがぼくの本を気軽に読んでもらいたくないからです。 p.28

確かに、お伽話はどんな前提が条件でも冒頭から素直に設定をぶつけて始めてもOKでした。あるところ、で通じますし、昔がいつかも指定する必要はありません。王子がいた、と書けば「いたんだ」とそのまま存在を信じてもらえます。いちいち、どこの王子なのか、本当に王子なのか、王様はいるのか......そんなことは考えず読み進めるものです。疑問にさえ思いません。川から桃が流れてきてその実を割ったら男の子が出てきたと書かれたとしても、読者から文句は言われないものです。でもこのお話では説明しきりです。つまり、子ども向けと銘打ってはいるものの、大人が読むことを想定しているからです。しかもメインターゲットは子ども心をなくした大人なので、「あるところ」では真剣に読んでもらえないと察知し、B612とリアリティを仄めかしたのでした。

「ヒツジといっしょに、親友の王子さまがいなくなってから、もう六年が経っている」とぼくは悲しみに暮れています。専門的なことなのでここのフランス語の時制は知りませんが、ここで語っているのは現在のぼくです(訳者稲垣さんのあとがきにフランス語の多様な時制や抽象性について詳しくありますが、こういう説明大好きです!)「親友のことを忘れるなんて、悲しいことです」これは故郷に残してきた親友レオンのことでもあり、同時にかつての子どものことでもあります。こう続きます。「親友がいたなんて、だれにでもあることではありませんから」。ぼくにとって王子は唯一無二の親友でした。ということは自分が一番自分の親友でした。先の引用はこの本がただの絵本でないことを宣言しています。王子さまのことを書こうとするのは、王子さまを忘れないためなのです」これは作者から愛する人たちへのラブレターとも取れますね。同時に読者の「かつての子どもたち」を忘れさせないためでもあります。

V. 最重要ポイント: "教会" サイズのバオバブは政治批判ではない


原著では全27章ありますが、ついに第5章まで来ました。もう三日目です。バオバブの話をします。ぼくの推理では「バオバブ」は王子の星において成長すると小惑星を破壊する悪い木です。王子がヒツジを欲しがったのは、バオバブがまだ小さい芽のうちにヒツジに食べてもらいたかったからですね。作者は子どものうちに手入れの癖をつければよかったと言っているのかもしれません。どういうことかって? 彼は毎日せっせと「星の身支度」をして、悪い芽を摘んだり、噴火しないように火山の煤払いをしたり、更にバラへの水やりや手入れを行います。結構真面目です。そうして繊細な心の世界を守っていました


実際、王子さまの星には、どの星にもあるように、良い草と悪い草がありました。ということは、良い草の良い種と、悪い草の悪い種があったのです。けれども、種は目には見えません。種はずっと土の中で人知れず眠っています。


種は目に見えない。それが良い種が悪い種かは芽が出るまでわかりません。「バオバブの芽は小さいうちは、バラの芽にそっくりなんだけれど」と王子は補足します。なるほど、バラの芽をもぎ取ってしまう可能性もあります。似ているけれど正反対のもの。それを見抜く力、見誤る危険。まるでバラとバオバブは天使と悪魔のようです。しかも「どの星にもある」。あなたの星にも日本語には「若い芽を摘む」という表現があります。それはちょうど若者の夢を潰すように決定的にもなります――。同時に、「悪い植物だと分かれば、すぐに引き抜いてしまわなくてはなりません」。手遅れになる前に。手遅れとは、バオバブの根の力で小惑星が破裂することです。これは一見したところ、社会的なメタファーと考えることが自然で、たとえば我々の社会を破壊させる因子がいないかをちゃんと管理しているか、責任を果たせているのかと作者が訴えているようにも聞こえます。王子は「毎日、ちゃんと日課を果たすかどうかなんだよ」と話します。「バオバブの芽と分かったら、すぐに引き抜くように毎日がんばらなければいけない。とっても手間のかかる仕事だけど、とっても簡単な仕事なんだ」と言います。"とっても簡単な仕事" ?
ぼくはこのあと王子に説得されて、子どもの読者に向けてバオバブについての注意喚起をします。「長い間、それと隣合わせにいながら、それにまるで気づかないでいる危険」。死と隣り合わせの危険な仕事をする飛行士サン=テグジュペリは常に観察には気をつけていたことでしょう。また、ここは戦争の火種も暗示している気がしますよね。
でも、本当にそういう寓意でしょうか?


ある日、王子さまはぼくに「がんばって、すてきな絵をかいてさ。地球の子どもたちの頭に、その絵をしっかりと刻みつけるんだよ」と勧めてくれました。
「いつか地球の子どもたちが旅をするとき」と王子さまがぼくに言いました。「その絵はきっと子どもたちの役に立つよ。今日やる仕事を後回しにしたって、だいたい困ったことにはならない。でも、バオバブが相手となると、いつだって、取り返しがつかなくなる。怠け者が住んでいた、ある惑星がいい例なんだ。その怠け者の住人が小さな木三本を放っておいたばっかりに......」そこで、ぼくは王子さまに言われるままに、こんな惑星の絵をかいたのです。
説教がましいことを言ったりするのは、ぼくはあまり好きではありません。けれども、今回だけは背に腹はかえられないのです。バオバブが危険かことはほとんど知られていないし、小惑星に迷い込んだりした人は、とんでもなくひどい目にあいますから。ぼくはこんなふうに言うことにします、「子どもたち! バオバブにはくれぐれも用心してくれよ!」と。


ここは単純に考えましょう。他のどの絵に比べても、ぼくはバオバブの絵を「立派」に描きます。ここが作者の最も伝えたいところだからです。ヒントは「いつか地球の子どもたちが旅をするとき」のために。小惑星B612が作者の「忘れ去られた童心の領域」を示すならば、誰にだってその星はありますあなたが今子どもなら「涙の王国」にはなっていないのかもしれません。しかしいつかは大人になって、大抵の人間というやつは「目に見える」数字やお金を気にするようになります。どうでしょうか。年収から動画の再生数、登録者数、ブログの閲覧数だってそうです。というより、そこを避けて逆に「永遠の少年」でいることを社会は嘲笑します大人が正しいと教わってきています。たとえば「夢見がち」とは明らかに批判的なニュアンスを含んだ表現です。思春期や反抗期から段々とそういう現実に直面して、いつかはあなたも「目に見えないもの」を置き去りにするかもしれません。もし目に見えないからといって放置した種が「悪い種」だったら? そうです。怠け者がたった3つの小さい木から「身を滅ぼす」ことになったように、そうなるよという警告です。

バオバブは大きくなったら「教会の建物」みたいになります教会が悪い種? その理由をタロットカードにある「神の家」を交えて考察してみます。自信作です。長くなったので続きは次回N°42 へ。

♠︎ 目に見えないものを大切にできなくなった大人は旅に出かける必要があります ♠︎


子どもの頃の自分と再び繋がるのです。あなたのちいさな王子と王女に出会ってください。基本的に私たちはみんな純粋でした。大体において、私たちはユニコーンがいると思っていたし、恐竜に想いを馳せることが仕事でした。ママンにはいつも笑っていてほしかったし、そのためになんだってしました。心を大切にして過ごしていました。何事も純粋に受け取りました。絵本にあるように、この世界は優しい人や愛のある人で溢れていると当然のように思っていました。自分の絵が下手だとか間違っているだなんて一番最初は思うはずがなかったのです。自分という存在の素晴らしさに疑問を持つことも、人と違う個性があることに恥を持つこともなく、マテル社が「あなたは何にだってなれる」と言えば、そうなんだと受け止められる心を持っているはずでした。「大人が崩壊させるまでは」。――その頃のなんと賢いことか。私も傷つけられるまでは、自分のことが大好きでした。実際にバービーを与えられなくても、その言葉を聞いたことがなくても、それを信じられるだけの器がありました。誰だって最初の最初は。

「毎日、今日やる仕事は後回しにしてでも」目に見えないことの方を重視しなければなりません手間はかかるけど簡単な仕事だと王子は言います。普段から「心の目で見なさい」ということです。たとえば、このブログの記事の閲覧数が1しかなかったとします。その少なさに囚われているのは「目に見えるもの」を追っている証拠です。しかしその1には数以上の価値があるかもしれないのです。たった1人でも、その人の心の中心に届いたのであれば、それは何気なく見た100や1000の閲覧数よりも遥かに素晴らしい業績です。大切なことは目に見えない、心で見なければ見えてこないその癖づけをするのです。でも、「重みのある1」も「軽い1」も「同じ1」として見てしまったら大事なことを見落としてしまいます。フォロワーを買って自作自演をしてまで「儚い10000」を追いかけることでしょう。

ここでの皮肉は、星を破裂させたのは「怠け者」ということです。それはおそらく、「現実社会での働き者」です精神世界の手入れをサボったのです。sabotage とは、「サボる」の元ネタのフランス語で、労働者の抗議の形として意図的に仕事の能率を一時的に下げる行為、その他に、敵の兵器などを破壊するという意味も持ちます。Wow. 私は日本人ですからサボるのおかげでサボタージュに気づきました。原文は、怠け者を指す paresseux (= lazy)です。これは14章に出てくる点灯夫の話にも出てきます。忙しなく明かりを灯す働き者の彼は本当は眠りたい人です。「人間は真面目な人でも、怠けたくなるときがある」。たぶんこれは私がこの章に追いついたときに詳しく付け加えることでしょう。王子が地球に来るまでに旅した数々の小さな小惑星にはそれぞれの「仕事」をしている大人たちが登場しますが、内容は批判です。電気の発明で我々は夜通し働くことができ、結果として休みを失いました。彼は電気です。太陽だってお休みをしますよね? ボアだって獲物を呑み込めば6ヶ月も眠るのですよ。お金や地位や物質の豊かさのために仕事に追われていませんか? ちゃんと怠ければ(休みを取れば)、心を大事にする時間とゆとりが取れます。本当にサボっちゃいけないのは心の領域であるという忠告だと思われます。

さて6章目。ついに、日の入りについての言及です。途中、教会大の大きさのわけを挟みまして、迫ろうと思います。長くなりましたので。日の入り、そして悲しみの王国について。なぜか『人間の大地』のNHKテキストの続きを読まずじまい、情熱の赴くままそっちのけでお送りしております。笑

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*1 - Link: the official french website, Citiations from Le Petit Prince (1943)
*2 - Link: Caractères - lepetitprince-japon.com
*3 - La trahison des images, 1828-1829. - René Magritte. ベルギーのシュルレアリスムの画家で、Ceci n'est pas une pipe (This is not a pipe)とフランス語で書いた。「かの有名なパイプ。こいつのおかげでどれだけいろんな連中から非難されてきたことだろうか! でも、私のこのパイプに、タバコを詰めることができるかね? できやしない。これは単なる表現だよ、違うかね? だから、もし私がこの絵に "これはパイプだ" と書き込んだら、私は嘘をついたことになるはずだ!」- Wikipedia jp



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