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Showing posts from August, 2025

N°36 - L'ERMITA, 隠者は正しかった。携帯の電源をオフにする効能

Sep.21 自分で実感したことだが、どうも携帯電話の電源をオフにすると、私の場合すぐに効果が現れた。「携帯を触らないでいる」では不十分らしい。アニータさんが「少なくとも1日, 2日電源をオフにしてほしい」と本で語っていた。 半信半疑の中、まずは数時間だけでもとオフにしてみたところ、なるほど確かに自分の隠れた感情や思考がみるみるうちに浮上してくる。投げかけると、暫くして答えが見つかってくる。思いついたままに書き出してみる。これが『声』というやつか。音として聞こえるのではない。湧き上がってくる。 「 自分の中にしか答えはない 」と人は言うが、それはこういうことかと思った。私の思考や感情や行動は過去のパターンからできている。その原因(答え)は私しか持っていない。どう感じ、どう考え、どう受け止め、どう対処したかは人それぞれだから、私にとっての答えは私にしか出せない。パーソナルでしかありえないんだ。 TVなど外側の情報、テクノロジー、できる限りシャットアウトした。TV大好き世代と同居している場合、音量を限りなく小さくする、音を無くす、目をやらない、別の部屋で一人になるなどして出来る限り遮断する。 自分以外のもの、つまり外側を遮断すると、そこには自分しか残らない 。自分と繋がりやすくなるというわけなんだ。私は、ああタロットの 『隠者』 は正しかったんだと思った。彼は人里離れたところで自分の真実を見つけようとしている。外側のものに囲まれていたのでは見つからないんだ。 わたしはわたしが好きだ。 孤独になって、友達がいなくなって、心細くなればなるほど、わたしはわたしを大切に思うようになる。 - シャーロット・ブロンテ 隠者というといつもこの言葉を思い出す。それに真理だと思う。自分と向き合わざるをえなくなって、自分が見えてくる、理解していく、好きになっていく。 外側のボリュームが大きかったせいで、自分の声を聞き漏らしていたんだ 。本当はそれはずっと私に語りかけていた。言い換えるなら、自分の本心から目を逸らすために外側の情報の中に身を置いていたのかもしれない。そうやって誤魔化して生きてきて、向き合っていなかったのかもしれない。対峙することを避けていたのかもしれない。 実にシンプルだった。騙されたと思ってやってみてほしい。

N°35 - 自分の中の良い子と悪い子を統合する

「いい子になりなさい」は、人生における最大の嘘だ 。 いい子で生きた者のうち、これに早めに気づき、やめられた者から幸せになる。いい子とは「親にとって都合のいい子」であるから、後に「それは会社にとって都合のいい子」、「誰かにとって都合のいい子」に変換される。社会や人間関係についてまわるから即刻やめなければならない。 「いい子でいなければ愛されない」、「正しくあることが善だ」と学んだ者は、常に受け身になる。条件付きの愛だ。自分自身をありのまま表現することができず、外側の要求にいつまでも自分を合わせるようになる。良い子は他者の要求を叶えるところに自分の存在意義を見出してしまう。「悪い子になってはいけない」つまり、人生の中に禁止事項ができる。「悪いこと」に分類されそうなあらゆるものを避けて通る。 自分から湧き出た純粋で自然な欲求でさえ「自分の中の悪い子」として時に葬り去ってしまうおそれがある 。他者に溶け込むことで存在し、他者の中にしか自分を発見できなくなる。「親の言うことが全て正しい」ということは決してないことに、ある程度歳を重ねると気づくことになるが、それがまだ未成年のうちなら特に、今更「悪い子」に転身しても良い子であったことを知られている手前叱られてしまうのだ。 手間のかからない子とは、「親のコントロール下にある子」を意味する。 逆に悪い子として生きた者はどうか。悪い子イコール「親がコントロールできない存在」であるから主導権を握っている。親の行動を決めることができる。意識的/無意識的に関わらず、甘えとして関心を向けられたいから反抗する場合もあれば、親の感情を変えることができることに喜ぶ場合もある。「親の言うことを聞かない子」ではあるが、勘当でもされない限り親に見捨てられることなく己の要求は達成されるのでそれは強い成功体験となる。益々「いい子でいたら損だ」と考えるようになり、いい子路線に入らなくなる。さっきと逆だ。そして「悪」が自分のアイデンティティになってしまった場合、自らの素直さは鳴りをひそめ、良い子に嫌悪し、自分は「 あらゆる人間に我慢させて自分の要求を相手に飲ますことができる特権を得た 」と勘違いしてしまう。自分は上位につき、いい子は弱く従順であるため下位として服従させることができるのだと。「いい子でいるなんてダサい」と思ってくる。 悪い子は他者への共感能力を失...

N°34 - 地上の楽園とノース・ノード EARTHLY DELIGHTS

私の ノース・ノード (North Node, ドラゴン・ヘッド) は蠍座で2hにあります。よって サウス・ノード (South Node, ドラゴン・テール)は牡牛座で8hにあります。私は蠍座と牡牛座に天体を持ちません。2hには射手座の冥王星が位置していますが、8hには天体がありません。――こうしたエンプティ・ハウスやサインは馴染みがないので感覚が掴みにくいです。また、天秤座ASCなのでハウス・カスプは、牡羊座から始まるナチュラル・サインとは逆(シスター・サイン、対極のサイン)になっています。つまりは、牡牛座と蠍座どちらの要素も見る必要がありますが、私の中で解釈が困難なものになっていました。 蠍座NNは「表面的な成功を手放せ」。牡牛座SNは「マテリアルなセーフティーに取りつかれやすい」というIGの投稿も見かけました。牡牛座-蠍座軸は手放しが重要ですからね。蠍座NNは「宇宙の法則を理解するようになる」とも読んだことがあります。hitolinkさんで。このようにノードに関しては実に多くの解釈があります。 あるとき私が見つけた次のサイトは、今まで読んだどこの解釈よりも違ってグッと来ました。以下、素人ながら抜粋要約したところを翻訳してみます。太字は私が勝手につけた箇所が主です。 ♠︎ NNが牡牛座の場合、もしくはNNが2hにある場合: あなたは、もっとリラックスする方法や、自尊心(Self-worth)と経済的な豊かさを築く方法を、人生の多くのシンプルな喜び(pleasures)を楽しみながら学んでいく必要があります。 SNが蠍座または8hにあることから、この牡牛座的安らぎはあなたに馴染みのないものでしょう。 あなたは過去世もしくは人生の最初の頃に、非常に強烈な、トラウマになる体験に対処しなければならなかったかもしれません 。その結果、 サバイバル・モード で生きるようになり、グラウンディングの感覚よりも恐れに基づいた決断を下すようになったのです。 サバイバル・モードでは人生を信頼するのが難しくなります。すべてが上手くいくとは信じにくいのです。緊張状態にあり、より良いものを 創造 することよりも、悪化することを 防ごう とします。意図して欲しいものを手に入れようと進むのではなく、絶えず人生に 反応 してしまうのです。自己破壊的な行動に出る傾向もあります。 安定(Stabi...

N°33 - 完全な自分になろうとするのではなく、自分がすでに完全体であることを知る

苦手なことも嫌いなことも何もかも全てを克服しなければならないと思っていた。それでこそ、ようやく自分は一人前になるのだと。常に自分は足りないと思っていた。まだ努力が足らない。まだ認められない。もっと成長しなければ。欠けている自分は愛されない。――でもそれは違った。 今の自分を否定することだった。 本来の自分を超えた別の誰かになろうとしていた 。本当は、自分は常に十分だった。ありのままで、今のままでよかった。証明する必要も、 自分に何かを付け足す必要もなかった のだと気がついた。 アニータの本を通して最近は色々なことに気がついてきました。 I am enough - 人が凸凹なのは、他者と噛み合うためです。欠けているように見えても完璧なんだということ。欠点は怠惰ではないのです。 頭ではこれを理解しても、心は全く追いついていませんでした。 私はこの思考パターンが一体どこから始まっていたのか、起き抜けに突然気がつきました。 以前「 N°6 」にて、私には 統合運動障害(dyspraxia, DCD, 今は発達性協調運動障害とも ) があるかもしれないと言いましたが、そうであってもなくても、私は運動(協調運動)が大の苦手で、手先が不器用で裁縫の玉留めがいつまで経ってもキツくできませんし、靴紐も解けてばかりで、ボール投げの記録は何年経っても変わりませんでした。だから体育の授業はそれはもう本当に地獄でした。跳び箱も逆上がりも一輪車もありとあらゆる体育が不得意でした。 でも周りはそれを信じなかったのです 。学校関係者は誰一人このような発達障害系の特性がこの世にあることを知りませんし、不得意な生徒を気にかけませんでした。私からしたらそれこそ怠慢です。その無知が責めを生み、生徒にもそういう存在を責めていいんだと学ばせてしまうのです。しかし正しい知識や理解があれば、定型と同じ基準で評価するという追い詰め方はしないでしょう。今でもTVでは笑いもの扱いですね。 彼らには「 努力すれば誰だってできるようになる 」という結論以外なく、 私が人よりできないのは「努力が足りないからだ」、「怠けているからだ」という評価を下すばかりでした 。他に出口はないのです。よってそれは通信表に響き、それは進路に響き、何回取り組んでもできない姿は人々を失望させ続けました。実はDCDはかなり発生率が高いとされていま...

N°32 - エンパス EMPATH. LIVING YOUR LIFE FROM JOY INSTEAD OF FROM FEAR

前回の記事で紹介した臨死体験の本「 喜びから人生を生きる (原題: Dying to Be Me ) 」を読み終えました。10周年記念版のあとがきは、あとがきというレベルではなく1章分ぐらいあります。そこには ウエイン・ダイアー博士( Wayne Dyer ) の死後に起きた不思議なことと、エンパス(Empath)について書かれていました。私も間違いなくエンパスだと思います。 多くの人もそう考えるでしょうけど私の個人的な見立てでは、エンパスは魚座の性質に似ています。海王星は境界線を融解させますからね(その最も好ましい表現がワンネスでしょう)。ライツや個人天体に魚座があったり、海王星の強いコンタクトがあるからといって必ずしもそうだなどと強引な主張をするつもりはないですが、一種の繊細さは持つでしょう。 [ N°12 ]絶の回で、「 中古品に他人のエネルギーを感じる、自分のものとは思えない 」と話しましたが、それもエンパスの特徴の一つのようです。ナチュラルスピリット社から彼女の3作目「 繊細さは、これからの時代の強さです ( Sensitive is the New Strong ) 」の翻訳が出ていますが、その紹介ビデオで同書の中にある[ エンパステスト ]を紹介しています。英語で受けたい方は彼女の[ 公式サイト ] からできます。――正直この手のテストって答えにくいですよね笑。昔はイエスだったけど今は違うんだよなとか、文章の最初は当てはまるけど、みたいな。私は29/34個当てはまりました。自分なりに昔より境界線を引けているからでしょうか。なんかスコアが高いとマウント取ってるみたいに思いますが実際にはそれほど気にかけなきゃいけないということですからね笑。嬉しいやら悲しいやら。それに同書でなんと言ってるか知りませんが、数に限らず「この項目に当てはまるならそうでしょ」とかも思いますし。結局は個人の判断を加味していいんじゃないでしょうか。 実際、繊細さはintensityであり、良いものを深く感じ取り感動できるという利点はありますが、日常生活では結構苦労するものです。だけどこの本を読むかは今はちょっとわからないです。 ♥︎♥︎♥︎ ここからは、第1作目の感想を述べますね。 まず、買う価値はあったと結論づけたいと思います。10年前の発売当時ならいざ知らず、今となっては目新しいメ...

N°31 - アニータさんの臨死体験より NEAR-DEATH-EXPERIENCE: “DYING TO BE ME"

まだ全文を読み切っていませんが、今「 喜びから人生を生きる! (原題: Dying to Be Me)* 」という本を読んでいます。アニータ・ムアジャーニ(Anita Moorjani)という女性の臨死体験と、それによるステージIV末期癌の消滅、死後の世界の理解について書かれたもので、45ヶ国以上の言語に訳されたベストセラー。かなり有名らしいので既に知っている方は多いのかもしれません。 *Dying to Be Me: My Journey from Cancer, to Near Death, to True Healing 初版は2012年で、私が手にしているのは、 (結構なページ数がある) 特別なあとがきが追加されている「 10周年記念版 」の日本語訳本です。( 買うときに注意してくださいね。特に洋書の場合。リンクを貼ろうと思ったのですが、Amazonの洋書ペーパーバック版だと、画像は[10th Anniversary Edition]でも出版年やISBNが昔のナンバーになっている出品がありますので、それはたぶん昔のバージョンが届くのだと思います )。 いわゆるこうしたスピリチュアル本は、同じくナチュラルスピリット社から出版されている、霊能者・月夜見さんの「 終わりなき魂を生きる 」以外初めてです(こちらもお勧めです)。臨死体験(Near-Death-Experience. NDE)についても読んだことがありません。 占星術師のリブラさんのブログでの紹介/解説で知ってその日のうちに買いました(私には珍しいことです)。彼女が紹介する本ってどれも興味をそそられるいい本なんですよね。少し読むだけにしてネタバレを防ぎました。リブラさんの医学的な見地からも解説されますしね。この本も癌専門医の言葉が載っています。 アニータさんの本のいいところは、彼女が押し付ける言い方で書いていないことです。そうでなければ私は手に取っていないでしょう。彼女は別に新たな宗教を作ろうとかスピリチュアル・リーダーになろうというわけではなく、ただ、生きとし生ける全てのものが神秘であり、自分という存在が如何に素晴らしいものであるかという気づき、全てが無条件の愛であったという深い気づきを伝えたいだけなんだと言います。内容的には「ああ、やっぱりそうか」と私の今までの考えを保証するものだと思われますが、彼...