N°63 - HOPE, FAITH & CHARITY / なぜ、信じることは必須なのか: 期待と失望はセット/ WGWG解説

*引用追加* 良いニュースと悪いニュースがある。でもまずは悪いニュースというか痛い真実について書かなければならない。

このブログで度々登場した*『ウィル・グレイソン、ウィル・グレイソン』(略: WGWG)だが、またしても言及することになった。これは、同姓同名の Will Grayson という2人の高校2年生を軸に友情や恋愛模様を奇数章・偶数章に分かれて、ジョン・グリーンとデイヴィッド・レヴィサンが共著した2010年のYA小説だ。
*過去記事: N°53

読み返してみると理解が進んでくる。実に青くさいとこもある――なにせヤングアダルト小説なのだから――が、実に良いことも言っている。原文では大文字と小文字でウィルを書き分けてるらしいが、ここでは奇数章ウィルをw1、偶数章ウィルをw2としよう。長いよ、覚悟して。

一番話したかったのはここだ。
*以下、引用文の太字はすべて私による。オリジナルで太字の箇所は下線にした*

w2 は母子家庭で、ひどい鬱病を罹ってる。服用してもまだネガティブで破壊的だ。オンラインチャットを交わすアイザックとの関係だけが彼の唯一と言っていい心の支えだった。(彼はゲイだ)

  危険だ。普段の僕なら願い事をしたりしない。小さい頃は、(中略) 特別な願い事をするときは、平気で何時間もかけた――そして、何かを願うたびに、無視という名の見上げるように大きな壁が、かならず僕の前にそびえ立った。ハムスターが欲しいと願うときも、母さんが泣くのをやめてくれますようにと願うときも、(中略) すべてがよくなりますようにと願ったことは一度もない――一度に願うのはいつも、たったひとつのことだった。いつも、その願いは叶わなかった。こうして、しまいに僕はあきらめた。一日も欠かさずに、僕はあきらめ続けた。
  だけど、アイザックのことだけは違う。時々、怖くなる。アイザックとうまくいきますようにと願うのが怖くなる。
2章 pp.47-48, w2

ついにアイザックと会う約束を取り付けたw2についてこう書いてある。

僕の幸福の源はアイザックで、その幸福を分かち合いたい相手もアイザックだった。
4章 p.93, w2

ネタバレになるが、無情にも、アイザックとは上手くいかない。それどころか、架空の人物であることが判明した。もっと悪いことに、女友達のモーラがなりすましていたのだった。すべてが発覚し、失意のどん底にいるw2の心の内が描かれている。

    僕は目を閉じ、殻の中に閉じこもり、外界のすべてを遮断しようとした。o. w. g (other will grayson=w1)が立ち上がる気配がする。彼がアイザックだったらいいのに。だけど、ちがう。モーラがアイザックじゃなかったらいいのに。だけど、そうだ。自分が別のだれかだったらいいのに。だけど、そんなわけはない。僕がしてきたことも、僕がされてきたことも、この先永遠に僕につきまとい続ける。
 神さま、僕を記憶喪失にしてください。アイザックと過ごしていると思い込んでいた偽物の時間を、すべて忘れさせてください。モーラが存在していることを忘れさせてください。きっと母さんも、父さんに別れを告げられたとき、こんな気持ちだったんだろう。いまならわかる。わかった。何かを望んだら、最後には、望んだものに破滅させられるんだ
8章, p.157, w2

最後の文、英語で見つけたことがあり、意味が正確だ。大文字で行こう:


THE THINGS YOU HOPE FOR THE MOST ARE THE THINGS THAT DESTROY YOU IN THE END.


私が言いたいことはこうだ。希望と絶望は必ずセットである。英文のみにある、「最も望んだこと」というのが結構キーだと思う。私はデカすぎる欲望を持つことで知られている、神々に(参考: sub blog)。期待という名の希望は必ず失望を生む。バシャールに言わせれば、脳みそ(=エゴ)にどうやっていつ叶うかなどのその後の展開や、どっちに進めばいいかなんてことは分からない。ただ目の前のことを観察するしか能力がない。だからエゴベースで作り上げた期待、自分にとって都合の良い展開、その期待は固定的な結果を想定したものであるし、期待や特定の結果に固執し続けることになるので、思い通りに行かない可能性が高い。というのが私の見解だ。そもそもが、今の現状への失望から来ていて、今を否定的に捉えている。それは "欠乏" の宣言なのだ。明日を生きるために希望を生み出すのだが、それはただのまやかしに過ぎない。身をもって体験してきた私の肌感覚では、必ずといっていいほどそうだ。かなしいかな、スタート地点は何も変わっちゃいない。なんなら傷を増やして帰ってきた。そうそう、月夜見さんも前に同じようなことを言ってた*:「もっと違う形で叶う道があるかもしれないのに、最初の願いに固執して、それが叶わないことが恨みになってる」。*N°48

  僕の中には、どうしようもない矛盾がある――心のどこかで僕は、自分はこんな目に遭って当然だと思っている。僕がこんなクズ人間じゃなかったら、アイザックは実在したのかもしれない。僕がこんな出来損ないじゃなかったら、いいことだってあったのかもしれない。だけど、そんなのフェアじゃない。僕が望んで、父さんが出ていったわけじゃない。望んで鬱になったわけじゃない。望んでうちが貧乏になったわけじゃない。望んで男が好きな体に生まれついたわけじゃない。望んでこんなにばかになったわけじゃない。望んで本物の友だちがいないわけじゃない。望んで、くだらないことばかり言うようになったわけじゃない。僕の望みは、一度でいいから、最高のどんでん返しが起こることだ。有頂天になるほどいいことが、たった一度でいいから起こってほしい。身の程知らずな望みだってことはわかってる。分不相応ってやつだ。
  どうして、自分の人生をミュージカルにするようなやつが、僕の隣に座っているんだろう。
p.186,w2

w2の心情は痛いほどわかる。分かりすぎて追記した。鬱か何かの副作用なのか。どうしてこんなに反応が同じなんだろう。私は自分を褒めきれない。現実を受け止めきれない。たとえそれが私の作ったものであったとしても。悪夢から覚めてほしいから眠り続ける。それが私のやり口だ。時々、というか根本的には、圧倒される。逃げ出したくなる。寝ることは逃避だから、感じたことになってないのかもしれない。まだ感じきれていない感情や押し込めた本音があるのだろうか。だから混沌は終わらないのかな。私はたぶん強くあらねばと思ってきた。でも弱さを感じ続ける方法を学ばなきゃいけなかったんだ。自分の繊細さと脆さが自分のものであることを認め、それを抱えて生きることに同意するまで。どうしてこんなに弱い自分を受け入れるのが難しいんだろう。泣いてるピカチュウのことは全力で抱きしめられるのに、思い通りに動かない自分に失望し続けて期待をかけ続けた。w2のようにどんなにクソな自分でも救ってやらなきゃいけない。彼女はついて回る。0/100でない曖昧な感情で彼女を包まなければ――。
家族に感謝してるし、申し訳なさも拭えない。自分なりの努力はしているし、助けられる身であることを肯定することに務めてる。だけど、オセロのような一発逆転をあまりにも狙い過ぎて、己で期待値を高めながら己の足で落ちていく。でも、願いをかけずにはいられないというぐらい絶望してるときに、希望の光がちらりと見えるとそこに全体重をかけて寄りかかってしまう。蜘蛛の糸のようだ。

実はこの展開を予言してる箇所はいくつもある。その一つは奇数章のw1から。

太陽みたいに明るいタイニーは「グレイソン(w1)を口説いたりしないよ。だって、ゲイじゃないもん。女の子を好きな男の子って、本質的にセクシーじゃない。自分を好きになってくれない相手なんて、なんで好きになれるわけ?」と話す。
w1には、自分で課した2つの "ルール" があって、<1. 気にしすぎない>、<2. 黙る> を頑なに守っているのでこのとき口にしなかったが、"好きになってくれる見込みのない相手のことだって好きになる。報われない恋は、一度報われてしまった恋とは違うやり方で、生きのびるんだから" と考える。(p.55)*1

なりすましていたモーラはずっとw2に片想いしていて、その度に冷たくあしらわれてきた。その恋はアイザックとして生き延びた。願いにも、きっとそんなところがある。何で成就するかわかったもんじゃない。モーラのことは嫌いで分かり合えなかったのに、アイザックとは完全に分かり合えていた。そういうことってあると思う? この件について、タイニーとw2は、アイザックを架空の人間だと解釈した。一方w1は「アイザックは架空の人間じゃない、モーラっていう女の子だった」と解釈した。これは大きな違いだ

w2がw1に伝えたことには、含みがある。(p.156)


w2: 愛が最低なのはなんでだと思う?
w1: なんで?
w2: 真実と結びついてるから。


モーラにも結構辛いところがある。彼女はめんどくさい無表情なゴスロリ女でもあるけど、この2人の友情は、タイニーとw1のようなキラキラしたものじゃない、陰鬱で有毒な友情だった。w2は金がないので自分でコーヒーを買えないから、モーラが買ってきてくれる特大サイズのくそまずいカプチーノを飲み干す関係。「モーラとは、世界滅亡の筋書きを語り合って楽しむことはできるけど、一緒に世界滅亡を食い止めようという気にはならない」(p.71)。ゲイなのかってモーラは聞いてくるけど、無粋だし、ゲイと答えればデートを回避できるが、『SATC』的ゲイの友人としてペットみたいに扱われるかもしれない。この一件以来無視を決め込んでいたが周囲に説得され、w2はついにモーラと再び話すことにする(箱を開ける=曖昧な関係をやめる)。自分は正直にならなきゃいけなかったんだ、おまえとは話したくない、彼氏にも親友にもなりたくないと。

  モーラ: アイザックのことはウザいなんて思わなかったくせに。毎晩話してたじゃない。
  : あれは嘘だろ! 全部嘘だった!

モーラは、まっすぐに僕の目を見た。

  モーラ: 知ってるくせに、ウィル――全部が嘘だなんてあり得ないって。どんなことにだって、少しくらい真実がまざってる。

僕はどう返せばいいのかわからなかった。

  : 僕が好きだったのは、おまえじゃない。アイザックだ。僕はアイザックを好きになったんだ。

わざとらしい無表情は消えていた。いま、モーラの顔は寂しそうだった。

  モーラ: ...アイザックは、あんたのことが好きだった。

18章, pp.349-350, w2

結構来るでしょ。だけど一応、w2から謝ってモーラも謝った。なんやかんやして、傷心中のw2はタイニーと出会い付きあうことになる。アイザックをどっちにカウントするか、或いは全くしないか諸説あるとしても、たぶん初めての彼氏だ。

僕だって、わかっている。何もかもどうでもいいという態度を貫こうとしても、そのうち、どうでもよくはない、と思うようになる。世界が滅びてもかまわないとうそぶくことは、多かれ少なかれ、世界が自分の思う形であってほしいと願うことと、同じなのだ。
12章, p.230, w2


✴︎

♦︎You Get What You Deserve

もう一つ話したいことがある。

自分が手にできる、体験できると信じたものでないと手に入れたり体験したりできない、とバシャールは説明した。つまり、自尊心やらがそこでブロックしている場合、"受け取り許可" が必要になってくる。許可っていう言い方が最初は気持ち悪く感じると思う。だけどこれ以上に最適な言葉はない。

w1が通うのはイリノイ州シカゴにあるエヴァンストン (Evanston) の高校で、両親は医者で癌患者を手術している。タイニーに至っては、リッチな両親と一緒に豪邸に住んでいる。しかも両親のどちらも仕事をしていないようだし、タイニー・クーパーはその豪邸とは別のところ、「豪邸の馬車置き場を独り占めして住んでいる」(p.14)。その "馬車置き場" という城には、寝室が3つあって冷蔵庫にはいつもビールが冷えてて、両親は絶対にタイニーにうるさいことは言わない。家も特大サイズなら本人のわがままボディも特大。
一方、シカゴ郊外のネイパービル (Naperville) に住むw2は、母子家庭で借金の匂いが染みついた家に住み、鬱病で、週末にアルバイトしている。

ここで、w2が初めての彼氏タイニーを家に招き入れたシーンを見てほしい。

タイニーはこの日、母親の銀色のベンツを借りて w2の家まで来た。自分のはガソリンが切れてたからだ。w2に言わせるとまさに、整形外科医が運転していそうな車だ。外科医と言っても、飢えたアフリカの子どもたちの顔の傷を治すような外科医じゃなくて、女の人たちに、12歳よりも老けて見えたら人生おしまいですから、と説得して回るような外科医だ」(p.251)という評価。ちなみに、w1も車を持っている(車種不明)。w1の彼女のジェーンはオレンジに塗装した古いボルボに乗っている(p.63)。w2は車を所有していない。w2が自分がいつか手に入れるだろうと思っていた車は、「自分と同い年くらいの中古車で、運転を禁止されるようになったばあさんから買い取った車」(p.252)そういう経済格差はグリーンの小説でよく出てくる。

タイニーは、w2の母におみやげを渡す。丁寧な包装を注意深く解いていくと、やがて飾り気のないガラスボウル** が現れた。→ フィル・ウレイソン 後述

  はじめのうち僕は、これといった感想を抱かなかった。ガラスボウルだ、と思っただけだ。だけど、母さんは息をのんだ。まばたきをして涙をこらえていた。なぜなら、それは、ただのガラスボウルではなかったから。完璧なガラスボウルだった。完璧で、すごくなめらかで、僕たちはただそこに座って、しばらくガラスボウルをみつめていた。母さんは、手の中のボウルをゆっくりと回した。こんなにみすぼらしいリビングでも、ボウルは光を受けて輝いていた。
  長いあいだ、こんなものを母さんに贈った人はいなかった。いや、たぶん、ひとりもいない。こんなに美しいものを母さんに贈った人は、これまでひとりもいない。

タイニー: おれが選んだんだよ!

  タイニーにはわかっていないだろう。たったいま自分が何をしたのか、かけらもわかっていないだろう。

母さん: タイニー...

  言葉が続かなかった。だけど、僕にはわかった。ボウルを手に持ったその仕草から。ボウルをみつめるその目付きから。
  頭の中で、言うべき言葉を選んでいるのもわかった――受け取れないわ、わたしにはもったいない。たとえ、欲しくてたまらなくても。心の底から気に入っていても。
  だから、代わりに僕が言った。

僕: すごくきれいだ。タイニー、どうもありがとう。

  そして、タイニーを抱きしめた。感謝の気持ちを伝えたかった。母さんがボウルをコーヒーテーブルに置く。磨き上げたばかりのテーブルだ。立ち上がって両腕を広げると、タイニーも母さんを抱きしめた。
  僕が、望むまいと自分に禁じてきたのは、こういうことだった。
  そしてもちろん、僕がずっと望んできたのは、こういうことだった。
14章, pp.257-259, w2

アイザックとの報われない恋はタイニーとの関係によって報われた。
w2の母ちゃんはめっさ優しいが、自分が離婚したことや、息子の鬱病のこと、服薬してるものの気難しいこと、バイトしてることもかなり気にしてる。その引け目を息子も感じ取っているが思春期でもあるし、息子は息子で引け目を感じている。そんな描写は他の登場人物には見られない。w1の彼女であるジェーンでさえ、(両親の言及はないが)、歯並びは完璧で、実家は安くないと評されている。w1側の人間たち――Evanston の住民たちと生活水準が違うのだろう。*2

タイニーとw2は対比になっている。光と闇だ。自分のことが大好きで、いつも明るく楽しい元気いっぱいのタイニーと、毎朝スクールバスが事故にあって全員死にますようにと――(母さんがシートベルト設置を求めてバス会社を訴え、僕の悲惨な人生で稼いだバイト代より多くの金を手にすることができるはずだから)――祈る悲観的で生気のないw2。超絶お金持ちと余裕のない生活。w2はきっと、w1が悔し紛れに買ったフレンチーズの9ドル83セントのアダルトDVDを要らないからと道端に捨て置くことも、それに罪悪感を全く持たずにいられることも多分ないんじゃないかな。モーラからクソ不味いコーヒーを奢ってもらうのが日課だと考えても、一時のプライドのために無駄金を使うなんてことは。ハッとするようなガラスボウルってどんなだ? って思ったけど、光に照らされたキラキラしたボウルは象徴なのだ。w2の家に不釣り合いなほど輝いたボウルは、タイニーの光や幸福や豊かさの象徴だ。タイニーそのものを体現しているといっていい。

そこでだ。

自分が信じたものがそのまま現実になっているだなんて甚だ信じがたい。そう思っていたが、そうかもしれないと思うようなことも何個か起きている。自分は受け取ってもいいという許可。deserve ということすら揺らいでしまうのだからこれは問題だ。どうせああだろう、こうだろう、では、悪いことが起こることを信じているからそれがそのまま現実化される。だからアファメーションはポジティブな意味の肯定文なのだ。私は豊かだとか、私は愛されています、というような宣言が好ましい。例えば、自分はフロリダになんか生涯で行けないだろう、と想定するのではなく、あくまで可能性は残しておく。実際に行かなかったとしても、"can" はある。最初から、フロリダに行けるような稼ぎ/幸運/相応しい人間の価値は自分にはない、などと否定せず、行くことはできると信じること。1%でも可能性はあるのだから。この理論は、「自分は宇宙から100%サポートされていない」と信じることさえも許されているほど宇宙は "無条件" の愛で私たちを包んでいることになっているというバシャールの説明に基づく。そして、なるほど、よーしと、宇宙は「自分が宇宙から100%サポートされていない」と感じることができる現実を用意してくれる。従って、「自分はXXが足りない」と欠乏の宣言するのではなくて、「自分は豊かだ/十分だ」(I am abundant/I am enough)と宣言する必要があるというわけだ。今を否定しない。負の存在を否定しない。その上で、ポジティブを選ぶ。
どのみち、まずは信じるしかない。否定を信じてたって否定の現実を変えられないのだから。何を信じているかが問題だ。私たちは常に必要なものを引き寄せている、現実化させている。そうでなければこの物質現実を体験することはできない。問題は、私が本当に受け取る価値のあるものについてだ。
岩瀬さんの翻訳。同じエササニ星人意識体のライオクの動画もいい。私のプレイリスト spirituality fun はあらゆる動画をピックアップしてるしブログで取り上げた情報源の多くはここにある。

♥︎ 原作者の回答をもとに

*1 - 「奇数章w1は、無性愛者のように最初見えたが?」という読者の質問に、グリーンによる公式見解がある。一部抜粋:
"(前略) しかし私は、主にウィルがロマンチックなもつれを求めることに躊躇う姿勢を、無性愛としてではなく、痛みは回避できる、あるいは回避すべきものだという彼の誤った信念に基づいているものだと見ていました"
- (...) But mostly I just saw Will's reluctance to seek romantic entanglements as reflective not as asexuality but by his wrongheaded belief that pain is something avoidable/to be avoided.

w1は "ルール" を課していると述べた。p.9では、「7歳の誕生日以来泣いたことがない」とあり、「いつ泣けばいいのかよく分からない。それに、泣くという行為は――身内の不幸なんかを別にすれば――かなりシンプルなふたつのルールを守ることで、ほぼ100%回避できる。ルール1. 気にしすぎない。ルール2. 黙る。僕の人生における不運はすべて、どちらか一方のルールを守らなかったせいで降りかかってきたものだ」と堅く信じている。それは彼自身が非感情的であることを証明するのではなく、彼自身が傷つかないためのものなので、反証するものなのだ。p.54では、直接的に「無性愛者じゃない。無関係主義者なんだ」と反論している。しかしジェーンのことが気になっているのは節々の描写で明らか。防衛心だ。ちなみに言っておくと感情を無視すると悪化する。感情は非合理的に見えるが、感情を対処するには感じるしかない。感じないように蓋することと理性的であることは別だ。

「すごくいい写真だね。まさにジェーンって感じで」。本心だった。だから問題なのだ――本心が多すぎる。褒め言葉を浴びせたいのも本心なら、距離を保っておきたいのも本心だった。僕を好きになってほしいのも本心なら、好きになってほしくないのも本心だった。間抜けな本心が、間抜けなでかい口から、次から次へとこぼれてくる。
p.68,w1

後半、彼は衝撃的な真実を告げられる。5年生から長年の親友であるタイニーは、愛についてのミュージカルを作ることになったが、あるランチの時間、w1を模した「フィル・ウレイソン」役の演技について指導している様子をw1はうっかり目撃してしまう:

「フィル・ウレイソンを演じるにあたって忘れちゃいけないのは、彼がめちゃくちゃ臆病だってこと。なんでもかんでも怖がってる。無関心な振りをして、この芝居に出てくるだれよりも精神的に弱い。フィルのパートは震える声で歌ってほしい。だれにも聞かれたくないっていうフィルの望みを表現して。そういうところがあるから、フィルは人を苛つかせるんだ。苛つかせることを言ってるわけじゃなくて、言い方が苛つくんだ。だから、タイニーがゲイ・パレードのポスターを貼ってるシーンで、フィルが自分で招いた馬鹿みたいな恋愛の悩みをぐちぐちこぼし続ける時は、なんで苛つくのかわかるようにしゃべってほしい。でも、やりすぎないでね。ほんとに些細なこと、靴の中の小石みたいなこととして表現しなくちゃ」
15章, pp.272-273, tiny-w1

**フィル・ウレイソンとは、タイニーという太陽の光(レイズ)をいっぱい吸収(フィル)して、真の姿に立ち返るため、という立派な意味がある(pp. 195, 200)。w2に渡したガラスボウルとはそういうことだ。"本当の自分" になれと2人の will graysons に示してる。「フィルはただの想像上のキャラクターだ」とタイニーは主張するが、無理もない、真実だし、これにショックを受けたw1は、タイニーと完全に仲違いし現場を後にする。謝って追いかけてきてほしいと願いながら、午後の授業を休む(ちなみに来ないし謝られない)。

小説のキーワードは「シュレーディンガーの猫」だが、w1は箱を閉じたままにすることを選ぶ人間だ。自分のルールに従って、ジェーンを手に入れられる時にはキスをせず、彼女が元カレと寄りを戻したときには積極的になり、ジェーンとキスするものの、「付き合っていないわけじゃない」と濁して曖昧な関係を続けようとした。ジェーンはそこんとこしっかりしていて、(前略)付き合ってないわけじゃない、っていうのは全然うれしくない。彼女になるか、ならないか、どっちかがいい。それで、思った。ウィルには、このことでとりあえず決定を下す権利がある。なぜなら、わたしにもその権利があるから」と告げるのだった。(p.323)

「最終的に科学者たちは、箱を開けずにいたって、猫を生きていながら死んでいる状態にはしておけない、って気づいたの。たとえあんたが、箱の中で生きているか死んでいるかわからない猫を見ようとしなくても、箱の中の空気には見えている。だから、箱を閉じたままにしてたって、真相を知らないのはあんたで、世界じゃないってこと13章, p.247 jane-w1
ほんと言うと、わたしは猫じゃない。猫はわたしたちふたりのこと。わたしは物理学者。あなたも物理学者。猫は、わたしたちふたりの関係」 15章, p.280 jane-w1

アイザックが猫だとして、w1はそれを曖昧に考えた。モーラと重なり合っている人物だとして。だからアイザックとw2の関係が猫だとして、w1は生きてるとも死んでるとも思わなかった。w2について「彼は、生きていながら死んでいる猫を、死んでいる、とあっさり決めつけた」と評している。(p.246)

作者の回答はこう:
"例えば、多くの人にとって、何も知らない状態にあることの喜びは、知らない限り、すべての可能な結果が(なんとなく)起きているように感じることです。
ボタンを押すと(すなわち箱を開ける)、結果は一つだけ得られますが、猫をどれだけ生かし続けたいかによって、そのリスクは取る価値がないと感じることがあります。
- (...) Like, for a lot of people, the whole pleasure of being in a state of unknowing is that as long as you don't know, all possible outcomes (kinda) feel as if they are happening.
When you press for an outcome (i.e., open the box) you get one outcome, but depending on how much you want the cat to be alive, that risk can feel like it is not worth taking.

最終的には、「本音を口にしないなら、本音が真実になることはない」というジェーンの何気なく出た言葉を受けて(p.323)、彼氏になりたいと告げジェーンとの関係をハッキリさせるものの、親友のことが一番大事だと気づいたw1は、仲違いしていたタイニーに愛を告白することになる。(p.326)

愛は真実と結びついてる。お互いに支え合っているんだ。
10章,p.176,o.w.g=w1

またも読者から、「誰かを愛するとき(必ずしも恋愛関係でなくても)、ハッキリと伝えるべきとお考えですか? なぜ、ロマンチックでないときに私たちが愛を告白するのは難しいのでしょう?」と来た問いに、グリーン氏は、アメリカの恋人たちが頻繁に "愛してる" と口にするのに比べて、友人や特定の家族がそれを言うことは極めて稀であるということは興味深いことです」と述べ、「タイニーとウィル(w1)については、言う必要がありました。なぜなら彼らがそれを言わない限り、お互いが愛し合ってることを本当に受け入れてるようには見えないからですと答えた。

ついに、この記事のタイトルの答えになるものが見つかったと思う。w1のビリーフシステム(信念体系)がもたらすこと――。

Q: 小説に示された道徳、たとえば「気にすることは原則として悪い結果になる」を信じますか?
A: ウィル・グレイソン(w1)が本の冒頭でそう述べていること、そしてまさにこの世界観こそが彼をあらゆるトラブルへと陥れ、多くの苦しみへと導くことは覚えておく価値があります。そして、このルールを放棄することだけが、最終的にタイニーとの充実した関係を築くことを可能にするのです。
- Well, it's worth remembering that Will Grayson says that at the very beginning of the book, and that it is precisely this worldview that gets him into all kinds of troubles and leads to his many miseries, and that only abandoning this rule eventually allows him to have a fulfilling relationship with Tiny.


"pick" (選ぶ) というのも重要なキーワードで、冒頭から伏線を張っている。恋人は選べるけど友人は選べないと。最後には友達を選ぶんだけど。
グリーンは、"私は常に、私たちに与えられるアイデンティティ [名前、宗教的背景、民族] と、私たちが選ぶアイデンティティ [ニックネーム、音楽の好み、ファッションなど] との関係に関心を持っていました" と答えている。
- I've always been interested in the relationship between the identities we're given (names. religious background, ethnicity) and the identities we choose (nicknames, music tastes, fashion, and so on).

選ぶというのも一つの選択肢を選ぶことだから、箱を開けることになるね。これはちょうど宇多田ヒカルの「Mine or Yours」に重なるところ。選択という意味で、『恋人たち』のカードをタグしようかな。そして faith という意味で『星』のタロットも。Visconti-Sforza [Cary Yale] とミンキアーテにある Hope, Faith, Charity ってのは他のデッキに採用してもよかったかもしれない。*3


この記事、話が二転三転して読みにくいと思うけど、凄く対比がしっかりしてるんだ。

❶箱を開ける: 事件以来モーラを無視してたw2が話をして曖昧な関係を終わらすこと = w1がジェーンとの関係をハッキリさせること。2人のウィルが正直になる。真実は美しいとは限らない、だけど、美しい。モーラは猛あたーっちゅ🐹してくるけど、2人の友情は微妙なところがあるし、前述のようにゲイだからって都合のいいペットになる訳にはいかず、当初はアイザックの存在を隠したかったのもあって、実は事件以前からずっと友達なのか何なのかさえ曖昧な関係であった。
モーラはね、あのままオハイオ州に住む、声も動画も提出不可能なアイザックとして会わずに恋愛関係を続けることが幾らかできた。会うことになればどんなことになるかも分かってた。それでも彼女は、偽りの愛を続けるより箱を開けることを選んだんだよ、本当の自分になることによって。
❷タイニーはモーラと対になるタイニーは感謝されたい。w1とジェーンを引き合わせたり、いい彼氏になろうとしたり、ミュージカルでw1のことは全体としては最高のヤツとして描いた。みんなを楽しませてる。でもみんな不平ばっかり。感謝されない。タイニーがw2の学校に行ってモーラに説教するシーンがある。確かに、モーラが2人を引き合わせたことになる。長いので省略するけど、w2は余計なことをするなとタイニーに怒る。(pp. 300-301)


: 教訓ってどんな? だれかの人生を破壊しようとしても、いいことが起きるだけだって? タイニー、最高の教訓だよ。これでモーラは、大勢の人生を破壊できるようになった。だって、結果がどうだろうと、自分は人の役に立ててるって満足できるんだ。お見合いサービスを始めるかもな。僕たちで成功してるんだし。


❸pick: 選ぶだってそうだ。特に経済状況に差があるタイニーとw2では選択肢の量が違う。気分転換にターゲット(アメリカのディスカウントストア)に行って買おうと思えば買える商品を眺めるのが好きなタイニーを始め、エヴァンストン生たちには気分転換の場所がある。w2にはない。おまけに鬱でもあるから価値観が違う。前述の説教事件の後......(p.301)

  タイニー: もっとちがう一日になるはずだったのに。
  僕: あのさ、一日がどうなるかなんて、自分で決められることなんかめったにないよ。

これも。

  タイニー: (前略) 不幸の原因を探してばかりいると、自分がどんなに幸福なのか気づかないよ。
  僕: タイニーが言うのは簡単だよな! (省略) タイニーは幸運すぎて、不幸に気づかないだけなんだ。
p.307,tiny-w2

どっちがいいとか正しいとか言ってないのが素晴らしいところ。というか、どっちも正しい。今ならタイニーの言ってることも分かるよ。できるときなら、自分が自分で幸運や幸福を選ばなきゃいけない。私が現実を創造しているんならね。それが私にできる私からの愛で自由で責任だ。
言い忘れてたけど、タイニーは毎秒恋に落ちてるようなやつで、元彼は43人いる説もあれば、3900人の彼氏がいる説もある。(pp. 248, 11)
8日間も同じ人を好きでいられたのは、男の子では、w2が初めて。

  僕: なんで僕を選んだ? 僕のどこがいい?
  タイニー: 心があるから。時々、心を無防備にさらけだしてしまうから。そこがいいんだ。この子にはおれが必要だ、って思ったんだ。

僕は首を振った。

  僕: わからない? 僕はだれも必要としてない。
  タイニー: だから、おれが必要なんだ。

僕にははっきりわかっていた。

  僕: きみは僕に恋してるんじゃない。だれかに必要とされたいだけなんだ。
  タイニー: だれが恋してるなんて言った? おれは「ほんとにほんとに好き」って言ったんだよ。

タイニーは口を閉じた。沈黙が流れる。

  タイニー: いつもこうだ。いつも同じ結末になる。
  : ごめん。
  タイニー: いつも、ごめんって言われるんだ。
  : タイニー、むりなんだ。
  タイニー: むりじゃない。そんなの言い訳だ。ただの言い訳。

別れを告げる必要はないみたいだった。タイニーの頭の中にはもう、僕たちの会話が最後まで出来上がっている。何も言わずに済むんだから、ほっとしてもいいはずだった。だけど、気持ちは暗くなるいっぽうだった。

  : タイニーのせいじゃない。僕がなにも感じないせいだ。
  タイニー: ほんとに? いまも、何も感じない? 全然?

ほんとうは、こう言いたかった――いままでだれにも、こういう時どうしたらいいか教わってこなかった。だけど、関係を続ける方法がわからないなら、傷つかないまま終わらせるべきなんじゃないのか。
pp.311-312, tiny-w2

これはw1と全く同じだよね。同姓同名の2人があらゆる点で似た性格をしているという面白さを描いてる。本当はたくさん感じてる。そして箱を閉ざしておこうとしてる。そのパターンを繰り返そうと。最終的にw2はミュージカルに乗り込んで感謝を伝えるんだけど。
実はタイニーっていうのは本名じゃない。選んだ名だ。tiny(とても小さい) という皮肉(p.181)。そしてタイニーの苦労とは、世間的には自分は美しくないこと。でかい図体であることも毎秒意識してる。ただし、骨太で生まれたこともゲイであることにもなんの不満はないし、自分の体を愛してて「それがおれだし、最高だと思ってる」けど、周りに揶揄われたりジロジロ見られたりすることには心底うんざりしてる。そういう毎日だ。(pp.308-309)。
これはどんな自分も丸ごと受け入れるという自然な状態にいる。参考: 自然の法則
作者は本名を答えなかった。

❹2種類のゲイ: タイニーはステレオタイプのゲイを表しているが、w2は「僕は完璧にゲイだってわけでもない。その証拠に、マドンナが大嫌いだ」とある。ゲイについてのジョークはどれも最高に面白いよ。

他にも大量にある。本当に上手く作られてるんだ。作家っておそろしいよ。

♠︎ 原作者はロックがお好き

正直言って、ジョークみたいな名前だからジョークだと思ってた。けど、『ニュートラル・ミルク・ホテル (Neutral Milk Hotel)っていうのは実在するバンドらしい。奇数章w1の人生を変えたバンドらしく、中でも『オランダ、1945 (Holland, 1945)という曲が好きで、『In the Aeroplane Over the Sea』というパーフェクトなアルバムを'98年に発表して以来情報がないという。(p.13)
作者の John Green は1977年生まれの48歳で、51歳のラッセン永野 (安っぽい名前で草) がロック好きってことは彼もまたその世代で、w1に反映されてるんだろう。

"私は単に『Neutral Milk Hotel』が本当に好きで、この本を、若者たちが、(車を所有できないことや偽の身分証明書がないといった)特別な障害を乗り越えても実現しない何かに対してとても興奮しているという点から始まる物語にしたいと考えていました。(後略)"
- I just really like Neutral Milk Hotel, and I wanted the book to start out with these kids being very excited for something that ends up not happening even after extraordinary obstacles (not owning a car, not having a fake ID) are overcome. (...)

じゃあ、『メイビー・デッド・キャッツ (Maybe Dead Cats)(Theがつくかもしれない) は?  これについて作中のタイニーは 「intellectual なポップパンクで、The Dead Milkmen っぽいけど、あれよりちょっとまじめな感じ」と評し(p.62)、ジェーンは、「けっこういいよ。初期の The Mr. T Experience を安っぽくした感じだけど、ひとつ好きな曲があるの――55秒の曲で、『脅威の年(Annus Mirabilis)』っていうタイトル。基本的には、アインシュタインの相対性理論を説明してるだけの歌詞なんだけど」(p.64)と語っている。

アヌス・ミラビリスもこのバンド名も英語で検索したけどヒットしなかった。英語圏の人も創作かデータが無いだけかわからないみたい。モデルがあるのかさえ分からない。たぶん、シュレーディンガーの猫を持ち出したいから作ったんだろう。

ただ、The Hideoutというバーや、Frenchy'sという大人のお店は発見できた(実在)。後者は名前が変わってもっと直接的なネーミングになっている。シカゴは 海 湖沿いの街でかなり発展しているリベラルなところ。正直こんな都会にある店だとは思わなかった。なんとなくぽつんとした店を思い浮かべてた。ストリートビューで見ても結構クラシカルでオシャレな建物だ。日本語版のペーパーバックのカバーをもっとよく見ておけばよかったんだね。
ちなみに、w1の両親が行かせたがっているノースウェスタン大学は超名門私立大学だって。

♣︎ Get A Life

*2 - 経済格差的な示唆の一つとして挙げられるのは、w1の家にはジェイン・オースティンの『説き伏せられて』(Persuasion, 1818) の小説があって偽IDを挟んでるのに対し、w2の母は『プライドと偏見』(Pride and Prejudice, 1813) のドラマ(恐らく1995) を観ている点。
オースティンの小説は、どれもイギリスの上流階級(+ジェントリー階級)の話だ。前者は、良いとこの娘が、貧しい海軍の男と婚約してたのを周囲の説得により破棄し後悔するもの。流石、オースティンの以前の作品に比べて文章が格段に成熟しているのが分かる、私の好きな作品だ。いつか引用するのにぴったりなタイミングが来るのを待っている。

w1はまさに、医者である父親から、名門大学、そして将来の人生設計について都度都度説得されている。(w1が賢いという描写は一切ない。寧ろ逆。だが親の言うことは正しいと思っているので、気の進まないけど従った方がいいよな、悪くないよなという感じ)

一方、w2の母はダーシー氏のような上流階級の王子様的展開を夢見ている。w2が心の中で「7兆億回観てる」と嘲笑するこのドラマのクライマックスで、いつもなら泣くところをこの日の母は泣かずに、「ほんと、こういうのやめるわ。人生が必要」という(p.82)。ここは、原文で "get a life" を使っている。よくSNSのアンチコメントに対する返信でも目にする言葉だ。w2は、「自分自身か、宇宙に向けて言ったんだと思う。僕に向かって言ったわけじゃなく」とした上で、このフレーズに心底ピリついてる。まるで人生を店で買ってこられるみたいだと。口には出していない。少し引用してみよう:

人生はつやつやした箱に入っていて、プラスチックの窓から中をのぞくと、まっさらな人生を送っている自分の姿がちょっと見えて、「うわぁ、こっちのほうがずっと幸せそう――必要だったのはこういう人生!」とか言って、レジに持っていって、カウンターにそっと置いて、クレジットカードで支払いをするのだろうか。人生がそんなにちょろいなら、ここは天国だ。だけど、ここは天国じゃない。だから、ねぇ母さん、新しい人生がすぐそこで待ってる、なんて思うのはやめなよ。手に入れに行くなんてムリなんだ。そうじゃなくて、母さんの人生は、ここにあるんだ。そう、ひどい人生だよね。だけど、人生はおおむねそういうものなんだよ。だから、変化が欲しいなら、人生を手に入れに行く必要はないんだ。母さんがしなくちゃいけないのは、ソファからケツをあげること。

これは、紛れもなくw2の反映なんだよね。最高の皮肉として。アイザックに全ベッドしていたw2も同じこと(そして私もね)。怒るのは分かるし、選べないところもあるけど、get a life という言葉は心底正しいと私は思ってる。期待に縋るより充実した人生を送れってこと。現実を受け入れろってこと。
といって、それはいつもいつも簡単なわけじゃない。だからときどき私たちは夢を見るし、現実逃避をする。別にそれも一口に悪いわけじゃない。そういう時間も必要だ。感傷的になるのも必要だ。だけどいつまでもそこにいるのは、きっと自分を生きていないってことになるんだろう。誰かを応援しっぱなしみたいなことで、自分の人生に目を向けるのがあまりにも酷だから、他人の問題は簡単に解けるように見えるから、ついつい口出ししてしまう。人生がどのような展開になるかを脳みそは知らない。脳みそはゴーグルであって羅針盤じゃない。だけどネタバレしてくれたら安心できるのにと思うのだ。

しかし、忘れちゃいけないのは、現実を見ることと悲観的になることはたぶん同じじゃないってこと。

追記: link "現実を見ないほど夢が叶う" の本当の意味と仕組み - まだ完全に腑に落ちてないけど

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*3 - theological virtues: 神学的/キリスト教基本徳目, 希望 信仰 慈愛。ヴィスコンティ=スフォルツァのキャリー・イエール版とミンキアーテ デッキ(Minchiate deck) に。







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