N°73 - 世界平和が難しい理由 / 哲学者ヤスパース / EDEN & "THE WORLD" TAROT
一つには、完璧を求めてるから。
といって、私は政治的なシリアスな話をしたいのではない。
完璧主義の原因は、自分や身の回りのことに対する欠乏感・不足感といっていい。
✴︎
以下に、三島由紀夫の小説『美しい星』(1962)を引用する。事前知識として必要なことをいくつか。
- 執筆時そして小説の舞台は、冷戦が激化し核兵器による人類滅亡や終末の不安と緊張が高まっていた時代。
- 人類を(核兵器で一斉に)滅亡させるべきだと考える、羽黒率いる地球在住ガチ宇宙人たちと、対するは、人類にはかわいいところもあるから存続させるべきだと考える自称・宇宙人一家の主にして主人公の重一朗。この両者による討論。ここが唯一と言っていいほど面白いところだが、私が全部をちゃんと理解できたとは思えない。
ちょっと長いけれど平和について引用する:
重一朗「大体人類に平和を与えようなどという企てが、どんなに奇妙な企てか、私自身がよく知っています。現在只今の世界の大部分は、少くとも交戦状態にはないから、平和なのにちがいない。しかし同時に、平和は熱烈に願われ、祈られ、待たされている。少くとも現に存在しているものを待つという背理は、次のことを暗示する。平和を願う人間どもは、現在存在している平和には不満であって、もっと完全な、不安のない平和を求めているのでしょうが、実は彼らが不満なのは、現在の平和の存在様態にではなく、平和の本質に不満なのかもしれないということを。
平和は自由と同様に、われわれ宇宙人の海から漁(と)られた魚であって、地球へ陸揚げされると忽(たちま)ち腐る。平和の地球的本質であるこの腐敗の足の早さ、これが彼らの不満のたねで、彼らがしきりに願っている平和は、新鮮な瞬間的な平和か、金属のように不朽の恒久平和かのいずれかで、中間的なだらだらした平和は、みんな贋物(にせもの)くさい匂いがするのです。
次に、かれらの動物的本能が嘉納(かのう)する平和は、概ね事後の平和であって、克ち取られた直後の平和、戦いのあとの平和、性交のあとの平和と謂ったものしか、かれらの感覚は本当の平和とみとめない。ところで現在の平和は、事前の平和であって、甚だ不透明で贋物くさいのです。[中略]
人類はまだまだ時間を征服することはできない。 [中略] 未来を現在に於(おい)て味わい、瞬間を永遠に於て味わう、こういう宇宙人にとってはごく普通の能力を、何とかして人間どもに伝えてやり、それを武器として、彼らが平和と宇宙的統一に到達するのを助けてやる、これが私の地球へやってきた目的でした。
私の目的は、水爆戦争後の地球を現在の時点においてまざまざと眺めさせ、その直後のおそろしい無機的な恒久平和を、現在の心の瞬間的な陶酔の裡(うち)に味わわせてやることでした。そのとき人間どもは、事後の世界の新鮮きわまる平和を、わが舌で味わうことができ、地球上の人類がみなそれを味わえば、もう釦(ボタン)を押す必要はなくなるのです。[中略]
私が彼らの想像力に愬(うった)えようとしたやり方は、破滅の幻を強めて平和の幻と同等にし、それをついには鏡像のように似通わせ、一方が鏡中の影であれば、一方は必ず現実であると思わせるところまで、持っていく方法でした。空飛ぶ円盤の出現は、人間の理性をかきみだすためだったし、理性を目ざめさせるにはその敵対物の陶酔しかないことを、理性自体に気づかせるのが目的であった。そしてわれわれの云(い)う陶酔とは、時間の不可逆性が崩れること、未来の不確実性が崩れること、すなわち欲望を持ちえなくなること、――何故なら人間の欲望は全て時間が原因であるから――、これらもろもろの、人間理性の最後の自己否定なのでした。人間の純粋理性とは、経験を可能にする先天的な認識能力のすべてを云うのだそうで、人間の経験は欲望の、すなわち時間の原則に従って動くからです。[後略]」 pp. 281-284
……
羽黒「[前略] こっちは人類愛に燃えていればこそ、親切な終末を考えてやっているのに、お前のその、人間を見下しながら、美辞麗句で褒めそやす卑劣な詐欺師のやり方は見え透いている。[中略]
人間に、核兵器を人智の到達点と思わせておき、そこに彼らの誇りを賭けさせておくことは、われわれの種族が仕組んだすばらしいアイロニーであったのに、どうしてお前は邪魔立てをしようとする? 人間にそう思わせておくことこそ、やつらの歴史の価値と文化の価値とを、薄明で貴重なものに見せる最大の慰藉(いしゃ)ではなかったか? [後略]」pp. 307-308
……
重一朗「私は感謝されようと思って救うのではない」
羽黒「それなら余計なお節介というものだ。いいか。お前の思想は、私の思想とはちがって、相手の同意が要るのだぞ。感謝はともあれ、お前が救ってやりたいと思うためには、救われたい相手が要るのだぞ。それに比べれば私の思想は明快で、同意も契約も要りはしない。滅びよ。そして否応なしに滅びる。……お前がちらつかせる平和だの統一だの調和だのという閑文字は、自分の思想の具現のむずかしさを自ら認めているようなものだ。本当のところはこうだろう。お前の救済のためにはまず平和が必要だし、平和のためにはまず統一が必要だ。これが求めて得られぬ『同意』のための不可能で必須の手続きなのだ。そして救われたいと望む相手は、大てい気違いか半病人で、まともな人間は救済などを望みはしない。人類全部が生き残るために団結なんぞしはしない。『人類全部のため』なんぞに、まともで、元気のいい、食慾も性慾もたっぷりある人間が、指一本動かす気づかいはないのだぞ」p. 316
これは鋭いところを突いている。引用してない他の箇所でも同様だ。
平和のためには統一が必要というのもそうだし。
現に存在している、そうだよね。平和だけじゃない。愛とかそういうものも、まがりなりにも手元にあるのだ。"完璧" だと思い描いた姿でいなくとも。未来を現在において〜の箇所も、よく聞くスピリチュアルと重なる。ただ時間や愛については私の理解が追いついていないところがあるのでここでは割愛する。
まず、平和に完璧を求めてるっていうのは本当にそうだ。私たちが理想郷というとき、それは "エデンの園" みたいな完全な楽園を意味するのだと思う。何の心配もない不足もない。完全に争いのない夢の国。それって閉じられた世界のようになんとなく感じられる。ディズニーランドが囲まれているように。柵があることにも安心を覚えるし。神の御許で庇護されているような絶対的な安心感と帰属感。あたかもそれは、閉じる必要があるということ自体がそれの外の世界に「都合の悪い世界」が広がっていることを示しているかのようだが――私が持つ『世界』のタロットカードのイメージは大体そんな感じ。でもさ、たとえば中央の人物が両性具有かなんて分からないよね。ワールドにさえ不確実なことがある。そしてそんなことは大した問題ではないんだと思う。この絵は宗教的だ。テトラモルフがいる。でも、裸体であるところが神話的だ。
リースのリボンが無限の記号を示してるようだけど、宇宙が無限に拡大し続けるように、それだと閉じてないんだよね。たぶん、そういうことになる。閉じるということは完成であり決定であり固定であるイメージがする。時制で言えば過去だ。このカードはよく「完成」と評されるけど、実際には常に未完成だ。あらゆる可能性に揺れ動いている。サグラダ・ファミリアの彫刻家・外尾さんが言っていたように、「本当の完成品はこの世には存在しない。この取材カメラのように、常に良いものが出る・進化するものは完成じゃない」*。人間だって少しずつ進化している。では完成とはなにか。このカードが示す世界とは、この世ではなく、宇宙とか他の次元を含んでのことなんだろうか。北欧神話で言ったら神々が住まう世界をも含むような。これは単数形だけれども、それらを包括した無限の広がりを持つ世界だろうか。"完璧" とはなにか。人間の感覚で言えばそれは "秩序" だと思う。土星が配されているように。コスモスだ。でもそれは無秩序を含んでいる。コスモスはカオスから生まれた。秩序が無秩序に先んじて現れることなんてあるのかな。まあとにかく、何の取りこぼしも仲間外れもないように包括している、その一かたまりが世界ひいては宇宙で、全体として調和している。"調和" とは "均衡" のことだ。均衡とは陰陽どちらもあるということ。全てがあるということは "完全" であるということ。
*関連記事: N°56 -iii
♥︎ ある哲学者の意見
tvで観たけれども、ドイツの哲学者カール・ヤスパースは、戦争が起きる理由について、各国の持つ「世界像」だと言った。経験がもたらす価値観の違いがある。
世界像というのはいつも、誤って世界存在一般として絶対化された個別的な認識の世界なのであります。(中略) あらゆる世界像は世界から切り離された一断片であって、世界は形象とはならないのであります。*2
世界像は世界そのものではない。彼はナチスドイツの政権を経験している。妻はユダヤ人だった。世界像の絶対化の危険性を身をもって知っているのだ。彼は、「人類の統一」(≒平和)には、終わりなき哲学的な交わりが必要だと語った。*2-2
- ここで先に話を挟むと、ずっとこのヤスパース『哲学入門』特集回を録画したまま放置していたのだが、何の気なしに観てみたらちょうどこの編集中の投稿の内容にピッタリだったので私はまたもシンクロニシティを体験し、自動的に誘われていく仕組みに驚嘆した。シンクロとはつまり「自分」を体験しているということなんだって。すべて私だから。
- ヤスパースの哲学に共鳴したのは、「挫折から哲学が生まれる」というところ。彼は生まれつきの難病を持っていた。自分にはどうすることもできない絶望的な不条理を経験しているかどうかは大きい。いわゆる、何不自由ない人生を生きてきた人でも哲学に興味を持つことはあるのだろうけど、私は彼にとてもよく共感できた。「哲学とは途上である」とも言っている。また "未完成" だ。
彼は、哲学には他者との交わりが必要だと考えた。それも正直な意見をぶつけてくれる対話が。これが「愛の闘争」であるが、昨今賑わせている打ち負かすだけの論破とは違う建設的なものだ。ただこれは耳の痛い話で、人との軋轢を恐れて正直さをどれだけ出せているかって。こんな限界集落みたいなブログでさえ大分表現は抑えているものを。相手を傷つけるかもしれないという予測だとかそんなんでコーティングした言い回しが、この愛の闘争においてどの程度許容されるのだろうか。やっぱダメなのかな。そもそもかなりの信頼ができてないとストレートな意見はしにくい。好感度無視してると言えたりする。相手に対し好意があればあるほど、あるいは相手からの好意を感じるほど、自分をよく見せたくなったり嫌われたくないと守ったりする。でもこの意見には賛成だ。じゃあ、交わろうとしない人はどうなるかというと……
「(交わりを大切にしない人は) 自分の世界観は守れるが、"交わり" を失う。"交わり" を失うと自分自身も失ってしまう」
そして、対国で考えてもこうした哲学的な交わりが人類の統一には必要だという。要は相手の世界観をどれだけ聴き、こちらも率直に意見し、対話していくかということだろう。解説者の戸谷さんは「人類の統一とは、"他者と一致" することではない」と言った。私とは異なる他者との闘争なのだから違いはあるまま。――そう、ここがバシャールの言う「無条件の愛」や、ツインフレーム(TF)における「統合」に通ずるところだ。相手にムカついてもいい。反対意見を言ってもいい。むしろそれを言っちゃいけないと押し込めた方が後の爆発を生み、関係は消滅する可能性が高い。「ケンカしないんです」ってカップルもあるけど、本当に円満だとして、実際にはこうした対話はあるけどそれをケンカや危機的状況とはみなしていないだけかもしれない。何から何まで価値観が一致するとは考えにくいし、そんな相手に恋愛的な関心を持つことは難しいはずだ。もちろんTFでは、私の性質の中に彼の性質があって、彼の性質の中に私の性質があるが、そこにはいくらかの新鮮味もあるはずである。私の考えではホロスコープの7ハウスやDSCが自分のなにか未発達・未発展のポイントを示すことがあって、それが上手く発達している他者を求める、或いは見出すのではないかと思うのだ。(恋愛に限らず)。"私" は欠けたままでも十分完璧なのだが、それは成長を否定することではないと思う。なぜなら私たちはどこまで行っても未完成なのだから!
相手との関係性を存続させていくために対話をする。「人類の統一とは、調整と交渉が継続している関係性」。そうだよね。どうでもよかったら意見しないで自然消滅させたり、それなりの関係性を維持するために当たり障りのないことをやって、エネルギーのかからないやり方を講じるだろうね。お互いに異なる価値観を冷静に受け入れるだけの能力が必要であるし、真剣な話から逃げない人じゃなきゃいけない。そして「これくらいのことで終わるなら終わってくれて構わない」という大胆な勇敢さが求められる。相手を信頼する以上に、自分自身への信頼が必要のように思う。自分軸だ。
だけど、この論争こそが愛の闘争なのかもしれないね。三島が狙ったのかはわからない。羽黒たちは宇宙人でありながら、地球生活では不満ばかりで社会に恨みを持っている。だからこそ破滅を願うだけの理由がある。心から幸せな人は概して破壊を望まない。対して一家は裕福であり、それぞれがなんやかんやあれど大怪我には至っていない。宇宙人たちもそうだが、自分たちは優れた宇宙人だと信じているこの一家もまた人間に対してひどく高慢だ。しかしこれはリアルな性格設定でもある。
ヤスパースの続きを言うと…
私は、ヤスパースがいう「限界状況」だと思う、確実に笑。人生ずっとなw。でもこれで終わりではないんだと思う。バシャールによればテーマを遂行するまで寿命は来ないらしいし。
彼の哲学には共感しっぱなしだった。戦後、彼は自らの「自由」な意思でナチスドイツのレジスタンス運動に参加しなかったことに対する罪の意識があって、参加しなかったドイツ人には平和を再建し二度と戦争を繰り返さない「責任」があると主張した。戸谷さんは「ヤスパースは、戦後のドイツの思想家の中でも極めて厳しい見方をしている」と言っていたけれど、私もそうしただろうなと容易に想像がついた。(言われるまでそれが厳しいとも思ってなかった。なんならそれが当たり前の姿勢だろうとすら。「当たり前を疑うことが哲学」なのだが。私にはずっと前から密かに現代ドイツ人の心理状態に関心がある。彼らは今も重苦しい影を背負っているのだろうかと)。
戸谷さんは説明する:
「たとえば、戦時中のドイツの出来事を全部他人のせいにして、"私は自由な選択なんか当時はできなかったんだ。だから私が何もできなくとも、それは私の責任ではない"、と考えることはもちろんできるんですけれども、そんな風に考えてしまったら、その後も自由に生きることはできなくなってしまうわけですよ。そんな、これまでの人生を全部他人のせいにしてしまうんだったら、これからの人生もずっと他人に依存した人生を送らなきゃいけなくなる。でも彼はやっぱりそれではいけないと考えていて、より自分らしく生きていくためには、これまで自分がしてきたことを引き受けないといけない」
これは素直に感心する、刺さるところだった。厳しいけれど徹底した自分軸だ。
ヤスパースはこのレジスタンスに参加しなかった自由と平和への責任を「包括者」によって授けられたと考えている。そこはちょっと混乱した。だけど次の例で考えると、彼の選択肢に対する分裂を最終的に決定に導いたのは包括者の関与なのだということだと思う。
彼の提唱する「包括者」についても、戸谷さんの説明は分かりやすかった。頭のいい人なんだなぁ、みつを。「存在は全体としては、客観であることも、主観であることもできないで、むしろ ≪包括者≫ であらねばならない」と本にはある。人は、何かを考えるとき、主体である "考える私" と、客体である "考えられている対象" とが分裂してしまうという。
「ヤスパースは、本当の善人は何も考えずに行動する人だと考えたのだと思う」と戸谷さんは例に出す。道端で誰かが倒れていて、身体が勝手に動くように助けに行く人は、行動と自分の精神状態とが一致していて、分裂していない。ところが、優先席に座っていて、目の前にお年寄りっぽい人が来た時に、席を譲るべきか譲らざるべきかを一度でも考え出してしまうと、分からなくなってしまう。これが分裂した例であろうと。
- (これめちゃくちゃ分かるわ。おばあちゃんとか車椅子の人が街中で目に入るから気になるんだけど、どうやら困ってはなさそうか…とか、本人の力を尊重した方がいいかとか考えすぎる傾向にある。話しかけられたら対応できるけど自分からは勇気が出ない。親切心はあるのに気軽に声掛けられない足踏みしちゃう。今日も小さなことだけどあった。やさしさを発揮ってね。それで後からもモヤモヤ。だから素直に動ける人、たとえばエルフの荒川ちゃんとか本当に尊敬する。手を差し伸べられる人になりたいよな)
包括者の例は他にもあって、どちらかを選択することにかれこれ長いこと悩んでいて、あるとき感覚的に何かに背中を押されたように自由に下せたと思ったとき、――これは、タロットでいうマルセイユ版の『恋人』のカードにあるキューピッドが包括者にあたるのだろうが――、それは包括者の決断なのか、自分の決断なのだろうかという話がある。(しかしここで言葉で対象化してしまうと分裂することになる。言葉にできないものがどうしてもそこにある。自分を超えたものの中にいる感覚。包括者というものを言葉で説明できなくても包まれてる感覚は感じることができるという)
ヤスパースは、このとき、「"包括者" に促されたとしても、選んだのは "私" だ」と断言する。あくまでも私が自由に選択したのだと考える。そしてこれは両立するという:
「確かに私たちは、この現実世界で自由であると思っている。だけれども、この世界に生まれることは自由に選んでない。気がついたら、私はこの世界に生まれさせられている。生まれさせられているにもかかわらず、この世界では自由だと思って生活している。ということは、これは包括者によって自由を授けられている」
と、ヤスパースは考えたのだ。あゆの『evolution』と『Moments』が浮かぶな。
(彼は "包括者" という語を ≪神≫ とも言い換えているが、あくまでも多様な世界像があるという前提で考えているので、多様なイメージを許容できる言葉としてかなり抽象度の高い包括者という語を使っている。無神論者やあらゆる神仏信仰にも対応可能だ)
- 西洋の人たちは往々にして自由意志だとか主体的な感覚を大事にする。鏡先生が前に西洋のシャーマンと日本のイタコとを引き合いに出してたけど、個を失くすことの抵抗が大きいんだろうね。ミディアムというし。神とだってあくまで契約であるから、対等という位置付けでなくとも個人の意志が関係している。生まれたときに洗礼を受けたとしても棄教はできるからだ。しかし、信仰において、日本はフリーWi-Fiの自動接続に近い。関連記事: N°54
なるほど彼の哲学は生きるためにある。哲学は暗いものばかりと思っていたが、翼を授けるものだ。哲学に勇気づけられたのは初めてだ。
こうして頭のいい人の説明を介することで理解を深めることができた。この先生の著書の『恋愛の哲学』*も面白そうだ。準備したにせよ、説明上手いしさ、言葉選びも適切だしさ、いいよなぁそういう頭脳欲しいぜ。嫉妬と憧れの境界線は思ったより曖昧で、たぶん憧れには少量でも嫉妬が含まれてるが、そんな感じだ。頭いい人目の前にすると痺れるよね
*世界と日本の恋愛と哲学について関連記事: N°45
- 哲学・宗教・美術/図像学・民族学と…学びたいことが実はたくさんある。というか、今気づいたんだけど、高校でも倫理や哲学の授業あるらしいね? 普通科じゃないから存在すら知らなかった。勝手に人生通して自力哲学してただけで全く偉人たちに触れてこなかったんで、こういう教育の機会があることが凄く嬉しいし有難い。そんなわけで、エレファントカシマシの細っこいボーカル・ひろじが女心分からなすぎて彼女の誕生日に図書カードプレゼントして「親戚のおじさんみたい」と言われたエピソード死ぬほど笑ったけど逆に嬉しいかもしれない笑。ロマンチックさ皆無だけど。
私も自由を選べるのだろうな。というか、自由が残されている。どんなに八方塞がりだと思っても。何かしらの可能性がないわけじゃないのだから。そう思わなきゃやっていけないしね。
よく、何の不足もない霊界が幸せだけど退屈だから地球を体験しに来たという説明がなされるけど……、確かに、幸せの虚無もあるだろう。簡単すぎるゲームをやってるのと同じで、刺激がない、面白みがない。幸せが当たり前になり、何も感じなくなる。だから人は最終的に知恵の実を食べる。楽園追放にはそうした妙なリアリティがある。満たされてないと感じることで、満たされるという幸せを感じるために。
「幸福って何も感じないことなのよ。幸福って、もっと鈍感なものよ。幸福な人は、自分以外のことなんか夢にも考えないで生きてゆくんですよ。」
/ 三島由紀夫『夜の向日葵』
(『鹿鳴館』に収録)
♦︎ おわりに
蛇足だが、三島はUFOやオカルト、SF小説が好きだったことで知られている。私自身は実はそれほど熱心に関心があるわけじゃないと思う。オカルトブームよりスピリチュアルブームの方を体験したからかな。
でも、バシャールを知ってからこの小説を思うとちょっと不思議だ。「宇宙人は本当にいるんだ」と私が50%以上信じるとは思わなかったし、この小説に出てくるような底意地の悪いやつじゃないんだという安堵があるから(そういうのもいるかもしれないが)。スリムクラブがマシャールとかいってマネしてるけど、全然練ってないよね笑 めっちゃゆるい。沖縄らしいってことかな。女性スタッフにハイビスカス頭につけてもらって対話形式でやればいいのにw
実は、UFOを見たことがあるとは言えないでいる。子どもの頃オレンジ色の動く光を見たはずだけど、なんかそれって記憶として曖昧だし、現在の思考力がないから他の可能性を排除できなかったと思うし。そう、本当疑り深いから笑。見たでいいじゃんって思う人は思うよね、でもある意味、懐疑主義者っていうのは一番純粋に信じてる/信じたい人なんだ。しかもあのとき、ちょうどUFOの話をしていて、「私も見たい!」という願望や、「オレンジ色をしている」という事前情報による私の意識がそのまま映し出された感がある。これを "ホログラム" っていうのかなと思うんだけど、正直よく分かってない。
もしかして、『マトリックス』観たら分かるかな。イナバウアーのとこしか知らなくて、観たらタメになるかなと思ってるけど観てない。あれがキアヌだったことも知らなかった。グラサンしてっし。
不思議な光は何度か見たことがある。ここ1年で。いつも見る空なのに、あれはなんだろうっていう正体不明、言わばUAPで。でもそれってベタなUFOを見たときの感動には遠く及ばない。見ないでも信じてやれよって感じだよね笑。見たいって願うほど見れなそうだし。それこそ小説のラストみたいに。
🛸
*1 - マルセイユとRWSの『世界』の話。マルセイユ系には男性で描かれたものも存在する。ジャック・ヴィーヴィル版とドダル版は男性っぽく見える。参考: 井上教子著『タロットの歴史』p. 235。Tetramorph
*2 - nhk 100分de名著 ヤスパース『哲学入門』、解説は戸谷洋志さん。引用文は草薙正夫訳。NHK ONE でフォローしたら放送スケジュールを通知してくれたらいいのにな。毎週録画してるとパンパンだからさ
*2-2 - 人類の統一とは、1) 完成された究極目標ではない。2) 様々な世界像が共存するための条件。その可能性に到達するための条件。3) 「愛の闘争」、「無制限の交わり」によって獲得されるもの。
*このところ Gaga の『Alejandro』が頭を貫いて離れなかった。アレハンドロはあまり聴かなかったしmvも初めて観たのだが。なぜかはわからない。まあナチスの同性愛者への扱いについて言及してるとも言われてるから丸っきり関係のないことでもないようだが。
*73 は美しい数字らしいね。ピッタリぢゃん
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