N°74 - EPIPHANY MOMENT! 結局は周波数だ、すべては今この瞬間に在るというのが感覚的にわかった話
なんか急に悟りました。一気に。証明という結果を待たずにもう勢いで話しちゃいましょう
🦧
例によってバシャールの翻訳・解説をしている岩瀬さんの動画を視聴する日々でした。
ところが急に「解った!」という瞬間が訪れたんです。それは前回話した三島の小説『美しい星』に出てきた「宇宙的な時間の感覚」も下地にあります。
→前回記事: N°73
すべては周波数だ――これはなんとなく聞いていた話で、意味はわからなかった。すべてはここにある、もそんなばかなって。
私はこの前、普段なら取らない行動をしました。
前回記事では三島の小説と関連して、哲学者カール・ヤスパースについても言及しました。その解説者として大学で教鞭を執っている戸谷先生がいて、彼が非常に説明も上手く、また私がヤスパースに深く共鳴したこともあって、戸谷先生の出演動画を片っ端から観て彼の著書が気になったんですね。具体的には『恋愛の哲学』という本です。これは、恋愛を文字通り哲学的に問い直すテーマですが、まぁ非常に興味を持ったんです。というか、こんなの待ってた!という内容でした。過去記事のN°45 では、同じく三島由紀夫が『新恋愛講座』という自身のエッセイで、「日本には、恋愛に哲学的な背景があったことはなく、恋愛は男性から隔離され、女々しくて卑しいものとして考えられてきた」と評しながら、西洋の恋愛観(プラトンとキリスト教の背景)と、過去・戦後の日本の恋愛観を論じるという話を取り上げていますが、そのころから強い関心を持っていた、正に知りたかった内容が一冊にまとめられてた、ということです。
それで私は買いました。そこには葛藤もあったのです。繰り返し述べているように、貯金が底をついてから経済面はカツカツなことが多く、臨時収入とか家族の助けでなんとかなってるので、購入することは今ハードルがあるのですね。(働くとそれはそれでそっちが上手く行かず、働いてる間はお金を使う時間やエネルギーがないという負のサイクルを繰り返しているのです)、で、でも現実的には買えないこともないので買いました。でも今までの私だったらこのタイミングではなかなか買ってないと思います。貯金しておこうって。でも自分のタメになると思ったし、何よりも今知りたかったし、哲学を学んで来なかった私としては解説してくれる・教えてくれるなんてありがたい話じゃないですか、で、結構あっさり、自分でも驚くほど(そのとき急いでたのもあって)早くに本屋で決断して購入したんです。
で、帰宅して、歯を磨いてるときに、ふと気づいたんです。「あっ、あの本は私自身だ」って。そのとき符合したのです。バシャールは言っていました、ワクワクは「本来の私」のエネルギーだと。そして、私でいうワクワクすることは現状このブログであって、「ワクワク」を行動に移すとき「シンクロニシティ」が起き*1、豊かさが得られる。実際私はブログを書いてるとタイミング良くその内容にピッタリな情報が入ってきます。自然とスムーズに事が運ぶと。豊かさとは情報も含みます。そして、シンクロとは「私自身」を体験しているということであり、(地球の時間軸だと時間差があるけれども)すべては一度に起きているということの表れだとも言っていました。なぜならワンネスとして全ては「私」だからですね。
- *ワクワクとは「本当の自分」になれるもの。より本当の自分になるのを引き出してくれる許可証。❶ ワクワクすることを行動に移す・外に表現する、❷ 最大限の能力を発揮する、❸ 特定の結果に固執しない、❹ できるだけ良い状態をキープする――ことで人生がシンクロ祭りになる。私はブログでどんどん口悪くなってますがそれが素です笑。hip-hop 属性だと思ってください。結構確かに自分を表現してるなと思います。初めてわくわくの定義を聞いた気がするんですがブログ以外を思い返しても納得いきます。わっしょいわっしょい →参考動画: link「シンクロの敵を無効化する魔法の言葉」
で、つまりここで私がこの本を手にするのは――というか「何かと共鳴する」ということはそれが私自身だからですよね――、大きなブレイクスルーだったと感じています。
以前の私ならこうでした。私にとってワクワクするものが正確に分かっていながら、それに対してストレートに手をのばすということはあまりなかった。具体的に言えば、しつこいけれど私はどうしても髪を染めたい。シャキーラみたいなヘアにしたいからタイトなカールアイロン――3/8インチ(9mm)、1/2インチ(13mm)、または 5/8インチ(16mm)――が欲しい。スカルプネイルをやってみたい。車のハンドルのおもちゃが欲しい。そんな感じで、欲求の中でも強めの欲求がありました。
でも大人意識・頭/思考・そして常識という内なる声が、「髪なんてどうせすぐにプリンになるよ。継続的にコストがかかる、そんなのはもっと余裕があって働いてからにしよう。嗜好や快楽は後回し。スカルプネイルなんて高いよ。コスパが悪すぎる。生活に不便だ。どうやって生活するつもり? 一時の快楽にお金を使うというのか? おもちゃなんて子どもっぽい、どうせすぐに遊ばなくなるよ。そんなものがあったって場所も取るし一体何になるんだ」と打ち消していました。ただ楽しいから、やりたいから、というものは頭ごなしに片っ端から否定していました。私の中で、そんな抽象的なもの、合理的じゃないものなんて理由にならないというか、要は「今はガマンしろ」というメッセージを送り続けていたし、「働いてない私が悪い (=楽しみを選ぶ資格がない)」というビリーフが土台になっていて、そこには尤もらしい説得力がありました。論破ですね。正論ぶちかましです。でも完全に打ち消せるはずもなく、物が売り切れになったら諦めて、再販したらまた疼いて悩んで、そんなのの繰り返しでした。
じゃあ結局何をしたかというと、妥協して、コスパのいいもの、より低価格の別の欲しいもの(今考えると上記の最上級欲望よりランクが下です)、"本当に欲しいやつ" の廉価版/代替案、という形で発散し、多くの場合は生活費や必需品の購入にあてました。
- ――公正を期すために言うと、実際、「発散」の幾つかは機能しました。具体的にはスカルプの欲求をマニキュア(ポリッシュ)に乗り換えて(すり替えて)、手先が不器用でもやってみた。本来なら技術力の高い選りすぐりのプロに施術された完璧なネイルじゃないと私の美意識は許さなかったけれど、ぶきっちょなのは生まれつき仕方ないので、そして面倒でもあるので、私の低活動エネルギーでできる低クオリティでも、「最悪、色が乗ってればよくね?」まで
退化いや進化し、剥げててもいいやぐらい完璧主義を乗り越えられたのです。なぜなら私は色に興奮するので。せっかく色が見える目があるんだからカラフルにした方が楽しいじゃんという信念が根っこにあるので。――でも、欲望の多くは不完全燃焼のままでした。
ここがキーポイントで、「すべては今ここにある」とスピリチュアルでは言います。過去も未来も現在も、「あらゆるバージョンの私」(他人や現実も)が、今この瞬間にも既に存在している。「今」しかない。そしてそれらの違いは周波数というだけであり、どの周波数を選ぶかということなんだと。つまり「バキバキギャルネイルの私」も今ここに存在しているはずです。パラレルワールドみたいに。これは他の全てのことに言えます。どんなに上手くいっていない現実を目の当たりにしても、上手く行ってるバージョン、ちょっと上手く行ってるバージョンなど、ありとあらゆる全てのバージョンが無数に存在しています。
それは、三島が登場人物に言わせた「未来を今として味わう」こともヒントになっていて、つまり時間を征服することでした。
岩瀬さんは言います。ufoが出現するのと同じで、場所や時間には特定の周波数があると。東京なら東京の周波数、ハワイならハワイの周波数というように、ufoはその周波数に合わせてる。それが瞬間移動を可能にしてる仕組みなんだと。チューニングみたいな。とても分かりやすい例でした。
- →参考動画: link『バシャールの宇宙の5法則を解説』岩瀬あきらさん。これかなりの助けです。地球だけの法則じゃなくて "宇宙全体" にも共通の法則。元は4法則しかなかったけど地球人にも理解がしやすいように第2法則「すべては今ここにある / Everything is here and now」が設けられた。これは第1と第3法則を組み合わせたものですが、本当にこれがないと理解できませんでした。バシャールはチャネラーであるダリル・アンカにとっての未来世の存在ですが、バシャールが繋がってるのはこっちの時間の周波数を合わせてくれてるからですね。
- The Five Laws of Creation
- You exist
- Everything is here and now
- The One is the All, and the All are the One
- What you put out is what you get back
- Everything changes except the first 4 laws
で、後から気づいたこととしては、ワクワクを行動に起こすということは、「本来の私」のエネルギーに近づくことなので、――("楽しい" と感じること自体が仕組み上それを証明している)――、ハイヤーセルフからの「次あれやったらいいよ」みたいなメッセージもクリアに受け取れて、チャンスとか流れとかラッキーも引き起こすだろうということ。
だからこそ、やっぱり周波数を良くすることが唯一にして究極の解決策じゃんというエイブラハム的結論に至るわけです。高い周波数で生きることが、高い周波数の現実を選び・体験することになるのだから。
「上手く行かないとしても、やってみたい」
これなんですよね。書いてみて気づいたけど、実はそうなんですよね。思った通りの形で上手くいかないかもしれない、やってみて「やっぱこの爪クソ邪魔だわ、お金のムダだった」って後悔するかもしれない――これを味わいたくないがために「確実性」を選んできたのですが 、それは特定の結果に固執しているという態度に他ならない。それには「お金をムダにしてはいけない」というビリーフがなければ成立しません。さらに言えば「経験の中にはムダなものがある」、「ムダは悪いものだ」、「豊かさには制限がある」というビリーフにも支えられています。私には、思った結果が得られなかったときに私を責める材料になることが分かっていました。そんな私を見たくないから、責められたくないから、失敗したくないからなんですね。失敗する私はダメという存在否定が根底にある。
しかし、やってみたいことって、純粋で、心からの思いで、心ということは「本当」で、動機も「愛」だから純粋で、どうなるかわからないけどやること自体に意味があるという姿勢ですよね。ここは kengo さんも言ってる。だから、そっちを選べってことなんです。逆に、xxという結果を期待してる動機は不純と言えます。あまり上手くない喩えだけど、見た目の可愛い海外のキャンディと日本のいつものキャンディとがあって、後者の味は失敗がないことが分かってます。でも気になるのは前者。実際外国のお菓子ってありえないぐらい不味かったり後悔することも多いのだけど、パッケージや発想が良くて惹かれます。これを何倍にもレベルアップした形で、挑戦をしたがらないのです。お菓子ぐらいならトライできたとしても、スカルプネイルとなると最低価格で1本900円はしますからね。(普通のジェルネイルで3週間の命。ある程度爪が長くないと可愛くないし、スカルプはより長くしたいわけなので3wの伸びなんて怖いっす。たたでさえ自爪を薄くしなきゃいけないのに何かに引っ掛けて剥がれるかもしれない、そういう懸念が大量にありました)
こわいのは、それを頭では理解していたのに、長い間「心」の方を選べなかったという事実です。まるでrws版『恋人』のカードの選択ですね。コンフォートゾーンから抜けられない。
だから、常識的に現実的に考えて、生活必需品や生活費に充てるのが最優先だし、そうして来ました。それは正しいのかもしれません。でも追われてばかりなんですよね。支払うことにも苦痛を覚える。状況が変わらない。その低い周波数じゃ、多くの豊かさは来ねぇよ、ってことだったんです。
"出したものを受け取る"
what you put out is
what you get back
確かにその言説は聞いたことがありました。そうは言っても、信じられなくないですか? お金に対するブロックが強かった私は勇気ある買い物もしたはしたけど、我慢して選ばなかったことの方が多い。妥協も我慢ですからね。怖いじゃないですか。こんなにも守られた環境にいるにも関わらず、生きていけないかもしれないという恐怖が消えなかったんです。この人たちに見捨てられたらどうしよう、1人で生きていけるのか、そんなサバイバル精神が私を震えさせました。それに、どうもお金が欲しいのならお金を差し出しなさいという単純さ、地球的な因果応報ではないんですね。ここで「出すもの」とは私の出す周波数のことを意味しています。
- →参考動画: link 『ステートを制するものは人生を制す』岩瀬さん
- →先ほどの、『宇宙の5法則』を解説の中で、第4法則がこれです。自分が出したものを受け取るというか、自分が自分を体験してるだけ。自分の周波数を自分で経験してるだけ。
何が問題かって、今まで私は、目の前の「今の現実(状況)」を踏まえて自分の行動を決定していた。私の中で、現実が先だった。でも、周波数が先なんです、本当は。
お金がいくらいくらしかないから、ああするこうする、じゃないんだよ。岩瀬さんが言ってましたよね。「あるかないかの二元論じゃなくて、その次元じゃない、"そんなのどうでもよくなった" っていう状況が我々が求めてる理想的な状態」。ある/なし、のステートにいたら抜け出せないっていうか、分からないままなんです。
- →参考動画: link 「本当に欲しいものが手に入る時の "ある" とは?」 : なにも豊かさだけじゃなくてパートナーシップとか愛とか成功とかだってそうです。それに振り回されない状態、自由な解放的な状態ですね
この動画を観てたから、納得もしてたし、お金があるかないかで行動を決めてた過去のパターンから卒業し、自分の周波数(ステート)を先んじてパターンを変えるんだという実践に図らずも繋がったんです。そして冒頭言ったように、これは私自身だったという気づきを体感として得ることができた。バシャールの言ってたことは本当だった。すべては今ここにある、すべては周波数なんだ、という話も体感でなんか納得できちゃったんです。頭の理解を超えた理解が可能になった。これは非常に良い流れを作ったと思います。
- 今までもっと大きな買い物もしましたけど、その時に感じた心臓のバクバクとかは一切ない、明るく楽しい感じなんですよ。めちゃくちゃ勇気を振り絞ったわけでもない、軽くいつものパターンを崩した感じで、躁状態のヒャッハー買いでもない。
- (今まで上手くいかなかったのに今までと同じ行動パターンじゃ変化しようがないですもんね。でもそれも知ってたんです。知ってて尚動けなかった)
「現実」の中に「自分」があるとみんな思ってるけど、本当は「自分」の中に「現実」がある
自分が現実を作ってるってことに意識的になった。ポジティブに、というかニュートラルにそれを受け止められた。
そしてね、私は今までより高い波動になったでしょう? そしたら私は自然と「感謝していることリスト」を作り始めたんです。今まで家族がしてきてくれたこと、これって当たり前じゃないよな、凄いよな、愛されてるよなってことを忘れないようにリストアップしました。よく「感謝リストを作りましょう」ってオラクルカードには出てきますし、私も寝る前に今日はこうこうこうだった、感謝だなぁって習慣は持っていました。ミラクルの数も数えていました。――だけど!今まで見えてなかった感謝の出来事が大量に見えてきたんです。あれもあった、これもあったって、より深い段階で。細かく。小さくて見過ごしてたものも。
私はネガティブになることも多々ありますが、そういう落ちてるとき・周波数が低いときって感謝することが見えない。忘れてしまう。自分はめちゃくちゃ不幸者だという風に正当化してしまう。被害者意識が支配してしまう。でも、波動が上がれば上がるほど、感謝することや「愛」といったものにより多く気づけるんだということがよく分かりました。感謝の深さが変わった。今まではどちらかというと、「感謝すれば波動・周波数が上がるから」やってた。でも今は自然と感謝する、もっと感謝したいというと変な言葉だけど、そんな行動になったんです。このリストがあれば次落ちたときがあっても思い出せるから。
そう、だからまとまりのない感情的な文章で申し訳ないけど、敢えてこのハイパーハイテンションのエネルギーを感じていただけたらと思います。
私自身を手に入れてなかったんですね。なんか分霊箱みたいだけど。笑
ワクワクするものは当然人によって違います。私はスポーツカーが好きです。でもワゴンが好きな人もいる。車に興味ない人もいる。バシャールは「どれだけ自分に関連性があるか」という言い方もしていますが、それもまた分かりやすい表現だと思います。私自身を手にしたいのだから、私に関連してなきゃ意味がないわけですし、誰かに関連性があって私に関連性のないことは私にとって何の意味もないことが同時に理解できます。
→ link どこで言ってたか探し出せたらリンク貼ります☆
キラキラしたものって、純粋にテンション上がります。でもこれこそ真理ですよね。テンションってつまり周波数でしょ。いい気分でしょ。理由なんてそれだけでいいんじゃないか。つーかそれが正解ぢゃん? 私は頭でっかちで、頭を納得させる範囲での行動をしてきました。だから私の常識の範囲内から逸脱できなかったのです。現実的な思考こそ当たり前でしょ?って。だけどベイビー、それこそ『フール』(愚者) じゃなかろうか。
しかしなぜ、私はあんなにも怖かったことを今回こんなにも軽くやってのけたんでしょうか?
この日、私たちは初めての場所に行きました。結構遠出で大冒険です。そこに良いものがあるかなんて期待しませんでした。誘われるがままなんとなくです。大体知ってる同じ店だし、なんなら全く期待していなかった。行く途中で後悔したぐらい道が困難でした。この期待してないという「ゼロ・ポイント」にいたことがもしかしたらよかったのかもしれません。良いも悪いも否定しない中立の立場にいたこと。
蓋を開けてみたら完全に触媒だった。これは全くもって予想外の出来事です。結果論ですし。
買っちゃおうかな〜、買ったら楽しいなぁという思いはあったけど悩んではいて、あっ、本屋あるんだ。じゃあちょっぱやでけつかっちんだけど見てみるかって見て、急いでたという状況もあって、それが思考を黙らせたところはあります。この流れになるために、急いでるという状況があえて作られていたのだとすら思っています。ヤスパースの言う「包括者」が私を導いた例と言えますよね。
で、買っちゃった〜💕ってテンション上がった後、これちょっとクレイジーだけど、人目より自分が楽しいから、やってみたいから便利だからって他に行動したりしました。波動・周波数の流れです。全ては私の投影だから、ある意味、こわいもの無しですよね。こわいものが出てきたらそれは私が創り出したものだから。
🐆
不思議とビジュがいいんですよね。ここ数日。
ここんとこ、猛省もしていました。今まで私は、他人に完全性を求めていた。「特定のバージョン」の他者しか認めてなかったんです。あらゆるバージョンの彼らを許してなかった。仕事も家事もちゃんと完全にできてる、そんな状況を求めていました。理想を。自分が出来もしないのに。思えば子供の頃からのパターンです。(両親共に実はそういう行動をしてた。お互いを責め合ってた。それをコピーしたとはいえ、私は意識的に選べる年齢です)。みんな必死に生きてる、ベストを尽くしてる。私ばかりベストを尽くしてるなんてことはないんだよなぁって。みんな、やってる。自分の尺度で他人を測らないで。「ほら生乾きじゃん、また」ってすぐ批判して、「私の代わりに洗濯してくれてる事実」に深い感謝はしていなかった。浅い感謝はしてました。でもそれは生乾きを許してないから、「できてない」ところだけ見て、「できてる」ところを見ていなかったのです。「上手く行ってること」よりも「行ってないこと」に注目するパターンは、完璧でなければダメという前提があります。シンプルに理想が高すぎるんです。批判することは簡単で、できてないという状態を存在ごと否定していた上での感謝は浅いです。0/100の評価でした。欠点があれば丸ごと認めないなんて。じゃあ私は何してるの?って言ったら大したことしてないんですよ。なのに一丁前に文句ばっか言って。私って不平不満ばかりだなって真実に気づいたんです。クソ姑ムーブですよね。クソババアでした。彼らは私の欠点を見せてくれていたに過ぎない。全ては私の周波数を見ているのだから、それは私が押し込めた私、「周波数の低いバージョンの現実」を私が選んだのです。だって、私の望むような働きをする彼らも今この瞬間のパラレルに存在するのです。想像した通りでなくとも上手くいってる私たちがどこかには存在している。私の反射なのだから、鏡を拭くのではなく私を磨くしかない。それどころか、彼らは思考よりも感情や感覚で動き、よく怠け、約束をすっぽかしても失敗してものんきで、楽しいことにお金をケチらないで楽しいことを優先する――非常識な行動はあれど、最高の見本ではないかということ、同時に私は、さも彼らより偉いかのような振る舞いをしていたこと、そういう自らの未熟さを痛感し、醜い真実を直視したんです。
それを認められるようになったのは、私が現実を作っている、他の人に責任はないということを受け止められるようになった。私が自分の欠点を込みで私だと認識し始めた証なんでしょうけど。
今までは彼らのようにはなりたくない、自分は違う、自分は正しいって否認してました。でも私にもわがままなとこはあり、迷惑をかけるとこも、ポンコツさも、怒りも、型破りなところも色々あっての私だった。欠点はあるし、だからこそ人間らしさでもあって、私も他者も不完全な人間であるという事実を少しずつ受容してきていると思います。それはとても現実的な認識ですし。私が生きてきた環境では、優しさが搾取され繊細さは利用される弱点でした。だから正直私は自分のこの特質をあまりまだ良く捉えてはいないのですが、きっと徐々に私の尊さを理解できるようになると思います。
さっき、「人生のすべてが flawless である必要はない」――と、あるサイトで読んでハッとしました。「フローレス」という単語が「完璧」という単語より深く刺さったのです。flawとは欠点で、-lessはその否定形ですが、まさに、欠点のない状態を私は目指していた。私自身にも課していた。欠点をなくすこと、それで完全体になること。それを手放せなかった。完璧な人生とか、完璧な人格、完璧な美、完璧な恋愛関係とか。そう、それって都合がいいばかりか、逆ですよね。パラドックスだけど、前回言った「世界平和は戦争がゼロという意味ではない」のと同じで、白も黒もある、光も影もある、衝突も欠点もある。それで良くてそれで一つの円・球体なんだと、『世界』なんだということ。「"完璧" は "理想" じゃない」*とプレアデス星人のサーシャも言ってましたよね。光だけが存在することが完璧ではない。完璧とは全てがあるということなのです。なにも、否定されるべきことはないのです。逆説的に、この考えが念頭にあれば排除という形はないので、平和で友好的だと思いませんか? 統一とは相手と同一になり個性をなくすことではないので、無くすことのできない違いを認めることなのです。そうやって自分の中を統合していくこと、それが外側の統合になります。
→*該当記事: N°69
さらに、「自分がどんどん悲惨に不幸になれば、周りは優しくしてくれるだろう」という期待と自己犠牲のビリーフを持っていたことも最近考えてました。敢えて困った状況を作り出していた。それが解決してしまっては愛を得られないと思うわけです。不幸に、悲惨に、かわいそうになること。メンタルとか金銭とか身体の不調とか。そうすることのメリットは、可愛がられること、優しさを恵んでもらえること、小さなことで他人からの愛を感じられることです。愛を受け取る為には、犠牲になったり尽くさなければならないって思ってるんだと気づきました。痛々しくて虚しい真実です。裏を返すと、自然の私(ありのまま)では愛されないというネガティブビリーフです。――自然とはなにか? 欠点があるということです。ありのままとは欠点がある私です。誰にでもあります。条件を満たしたときに愛されるのだという学習は間違っています。
0か100かで判断するって冷静に考えておかしいですよね。完璧に英語を話せなければできない扱いか? って。「できない」を許してないんです。不完全なプロセスを許してないんです。
「現実を変えようとしなくていい」という意味は、どんな現実もどんな私も All ok だからこそ、全ての存在を許していいんだよってこと。それこそ宇宙の周波数(= 無条件の愛)であり、それが逆説的に現実を変えることになる
ほんとパラドクスですよね。お金を稼ごう稼ごうとしがちなのだけど、それは許してないんです。私の場合、それは恐れなんです。お金を稼がなくてもいい、お金が少なくてもいい、そうやって今の全てを許すことだったんです。「許し」の反対は「ジャッジ」。なぜなら宇宙は私たちを叱っていません。私が叱っているのです。こうあらねばは幻想です。
今の現実を変えようとする、変える必要があると思うのは一見正当性があるけど、現実否定、自己や他者否定、今を否定してるんですよね。一旦全部許してみよう。アリにしてみよう。なぜって、ネガティブとは分離的エネルギー、ポジティブとは包括的エネルギーだからです。ネガティブな状態も許してみましょう。無条件に。それはポジティブになります。だって私は既に十分であり愛されているはずですから。
私、毎日猫にセクハラしてたんですよ。今日もかわいいねー、ぷにぷにだねー、いるだけでいいんだよーって。それっす。猫から学ぶことって多くて、芸ができるから価値が高いのではないし、人間の言うことを聞くから愛らしいのでもない。猫が猫であることが愛すべき所以じゃないですか。
「抵抗」とは「ない」が起きないように頑張ってる状態 *1
結果に固執してるのも抵抗です。「固執」が無くなれば「抵抗」も無くなるとバシャールも言っています*2。エイブラハムは問題に意識を向けると問題は膨らむと解説しています*3
最高を体験したいなら私がまずその周波数になればいい。肩の力を抜けぇい!
そんなこんなで、反省も、小説も、あらゆる自然な流れでこの突然の理解、エピファニーが得られたって話でした。参考になれば幸いです。
人生はぢゃがいモー!
shakira bashar epiphany vibration frequency abraham paradox
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