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Showing posts from July, 2025

N°30 - 土星回帰を振り返る

p.s. 2025/12/02 人生初の土星回帰を終えて、一体どんな気づきを得たかというと、なぜか詳細には覚えていない。私はむしろその少し前に起きたT土星の月合の方がメンタルに来るから、心臓に重石を乗せられたようなしんどさを感じていた。ただ滞在が長過ぎたのかも。実際のアスペクトとしては私の場合期間は少なかった。だけど長いこと魚座に居ただけで重苦しいよね。 T海王星も居たからさ、なんなんだよこのペアで来るのって思ってた。絶対意味深っていうか。そもそもが魚座土星で山羊座海王星とのミューチャル・リセプションがある世代。やっぱりT土星が入ってきてからの方が影響が分かりやすかったかも。T海王星が太陽と土星に乗ったときの混乱っぷりは本当に見事だった。コンパスが狂うみたいな。このとき西洋占星学の知識が全然ない時だったのに、「 霧に包まれたみたいに人生の方向性がわからない 」って表現したのマジで凄い。天才。マジ アインシュタイン。本当に混乱したの。それまでだって見通せてたタイプじゃないけど、何したらいいか、一体何が起きているのか本当に何にもわからなかった。大体この時期に西洋占星術を知ったんだった。それまで占い否定派だったのに出生図の正確性に思わず目から鱗が落ちた。ギリシャ神話とキリスト教と西洋絵画の図像学がやたら気になってのめり込んだのもこの頃。これが後のタロット学習の布石になるなんて夢にも思わなかった。だってタロットなんて知らないし。聞いたことがあるかないかぐらい。まだ卜術は認めてなかったからね。タロットを知ったのは26-27ぐらい? 「 エリ・エリ・ラマ・サバクタニ (Eli, Eli, lama sabachthani?) 」 神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか ――ってイエスが極刑に処されるときに言ったのが衝撃的で忘れられなくて好きな場面。「えーっ そんなこと言っちゃうんだ」っていう驚きと親しみやすさ。彼に人間味を感じさせるシーンが描かれていることが単純にストーリーとして面白い。 魚座と山羊座ってサインとしては調和する配置だけど、海王星と土星として考えたときに結構価値観が真逆だからいつも葛藤してきた 。私は魚座で太陽と土星がコンジャンクションしているから余計にそう思うのかもしれない。懐疑主義になりきれず、かといって神秘主義や何かの信徒になれるほど浮かれることもできなくて...

N°29 - 偽ツインは存在するのか

≪ 二人目のツインフレームは何が違う? ダブル・レインボーみたいなこと? 奇跡は何回だって起きる、 その可能性を許すならば ≫ 私は、一人目を経たから二人目のケースを信じることができたと確信しています 。今にして、なぜ一人目の経験が必要だったのかが分かりました。納得しました。全ての人に複数必要だと言っているわけではありません。私にとっては一人目が必要でした。ということで、私の経験を元に説明いたしましょう。 結論から言うと、現時点でその一人目(Aさん)を私の「偽ツイン」とは捉えていません。ただし、捉えようによってはそう言い換えることはできます。 確かに、私は彼の元から離れました( 別れについて言及のある記事: N°13 )。だけど、もちろんそんな結末になるなんて思いもしませんでした。結果論として別れる形になり、 これはあるとき私に明確に分岐点が訪れて、私はどちらを選ぶのかという岐路に立ちました 。その時点でまだ二人目は出てきていないにも関わらず、二人目と出会う可能性が予告されていました。そして私はまだ見ぬ二人目の方を選択しました。どちらかが正解でどちらかが不正解という感じはしませんでしたが、私はこの決断に完全に満足しています。 一人目の彼、Aさんとの経験はそれでも、信じられない不可思議なことの連続であり、それは紛れもなく ツインフレーム・ジャーニー(TFJ) で、その瞬間の私の想いは本物であり、欠かすことのできなかった学びをくれました。そのことについてもちろん感謝しています。でも、何もそれはTFだけではなく、今までの恋愛相手にだって同様に感謝しています。喧嘩別れにせよ、何にせよ、その歴史はいつも次の恋愛の土台となりました。例えばTF一人目に恋するためには、その前の元彼が必要でした。なぜならその時持っていた「年上の男性に対する男性不信/恐怖」を打ち破り、ポジティブなイメージに書き換えることができたからです。私にとってこの直線的な順序も意味があったのです。 そして、 ツインフレーム複数説(参考記事: N°2 )を可能性として予め受け入れたからこそ、二人目が出てきた のかもしれないと思っています。 この世界はおそらく、自分が受け入れた分だけ愛が届く 。万人に降り注ぐ太陽の光を愛に喩えるなら、それを遮って日陰に行くこともできるし、余すことなく浴びることもできる。(もちろん、現...

N°28 - カジュアル・ベイカンシーの想い出

多分20歳頃だと思いますが、ハリポタでお馴染みのJ.K.ローリング著の「 カジュアル・ベイカンシー ( The Casual Vacancy ) 」 という小説を読んで衝撃を受けたことをふと思い出しています。 あらゆる社会問題を扱った小説なのですが、 この小説のテーマは、 責任(responsibilities) で、wikiによると*、「 私たちは、恵まれない人たちと、自分自身とを幸福にするレスポンシビリティーがある 」ということでした。それを読んだ時にハッとして。普段他人に優しくすることは簡単にできるのに、自分を幸せにすることをなかなか選べていなかったので、「 そうだよな。私は私を幸せにする責任があるよな 」って身が引き締まった思いでした。当時は本格的に傷を癒し始めた段階でした。誰かのせいでこうなっても、ある一定の年齢になったらやっぱりそれは、自分と向き合って自分を愛せるように、大事にできるように、そのための旅へ歩み出さなきゃいけないと思っています。 もちろん一足飛びには無理です。 長いこと、自分のお金で出した歯列矯正が「唯一、生に向かうポジティブな行為だな」と思う時代がありました。だけど覚悟を決めて少しずつでも進もうと決意することが大事だと思います。あなたは癒される価値があるし、あなた自身に愛される価値があります。 余談: それでこの小説を読んで、ファンドレイザーやソーシャル・ ワーカーに興味が出たのですが、後者は日本の場合全然違ってて。確か大学に行かなきゃならないとかあったので中々ハードルがあったと思います。それに、「 人のことよりまず自分が癒されてからであるべきだ 」という思いが強く、結局その道に進みませんでした。 彼女(ローリング氏)は売れるまでに苦労した経験があるから、英国の階級社会にも思うところもあったんじゃないでしょうか。代わりに、英国では、上流階級や恵まれた人たちは、恵まれない人たちにチャリティー(慈善活動)をするという慣習が根付いていると聞きます。日本だと災害時には寄付等の支援が活発になりますが、海外ほど気安くできるシステムが揃っていないんじゃないかと思います。 以前、オーストラリアのジュエリー・ショップでオンライン・ショッピングをしたときに、購入代金からA$1(オーストラリアン・ドル/AUD)を自動的に慈善団体に寄付するというサービスが導入さ...

N°27 - わからなくていいこともある UNCERTAINTY: LETTING TIME UNFOLD THE TRUTH

「何でも理解しよう」としない方がいい、ということがようやく分かってきました。然るべきときに、明らかにされていくのです。 何かを信じるということは、「答え」が分からないまま、確かめようのないことに対して心を開いていくことであって、「確実でハッキリしたもの」を信じるとは言わない。 ' FAITH IS  TAKING THE FIRST STEP EVEN WHEN YOU DON'T SEE THE WHOLE STAIRCASE ' - DR. MARTIN LUTHER KING 信念とは、階段の全体像が分からなくても 最初の一段を登ることだ - キング牧師 分からないことが怖いからコントロールしようとする。そう、私は不確かなものが怖かった。確実な安全、保証された未来が欲しかった。 宇多田ヒカルさんも「何色でもない花」で歌っていましたね。「 確かめようのない事実しか/真実とは呼ばない 」って。 実際に、この世の中でそれほど確かなものが幾つあるんだろう。案外、大雑把に出来ているのかもしれないと思っています。 例えば、イメージ。「フランス産」と「マレーシア産」に同じイメージはないでしょう。「アメリカ産」もまた違う。具体的にどういうイメージを持っているかは人それぞれなわけです。取引してる関係者なら本当にどこの産地が良いとか知っているでしょうけど、一般人はその情報を丸々信じているだけで現地を視察して食べ比べるわけじゃありません。「XXの商品ならこの国が良さそう」とか、「青いロゴの会社は信頼できる気がする」とかそういう思い込みで商売が成り立っている。 芸能人はもっと顕著で、イメージという虚像が商売道具になります。例えば、女優が喫煙者だと知ったら、昔ならスキャンダラスな受け止め方をされていました。俳優はいいけど、女優には吸わないで欲しいみたいな願望があるんでしょうね。今はそこまで「イメージが悪い」とは思われないかもしれません。「清純派」というのも古い戦法で、何を持って清純と言っているのか分かりませんが、処女信仰もロリ信仰もいい加減廃れてほしいですね。売る方も売る方、買う方も買う方です。煙草やピアスが不良という「イメージ」。遊んでいそうな「イメージ」。男性だとプレイボーイとしてなんならちょっといいイメージもつくけど、女性の場合ふしだらとか小悪魔的な受け止...

N°26 - “頑張らない” を頑張らずに実践する

よく言われてきたことですが、「頑張るな」というメッセージを受け取ります。降伏(サレンダー)の段階だからです。 しかし気がつくとまた頑張っている...の繰り返し どうやら、「頑張らない」という姿勢を「頑張って」実践していました 。すると、頑張っていることになりますから、上手くいかないのです。宇宙に任せたことになりませんから。これを私が理解するまで繰り返されます。公文と同じ。笑 ここで言う「頑張らない」というのは、 自分でなんとかしようとしない という意味ですが、これまで頑張って乗り越えてきた人には難しい極致です。「頑張る」というのは「男性性」であるから、divine feminine* たる私は、頑張らずに肩の力を抜くことによって、divine masculine* や宇宙が、私や私たちのために頑張ることができます。 *参考記事:  N°13   「がんばらなくていいなら楽でいいじゃん」と思いますが、これが案外そうでもなくて、太陽土星合が6hの私にはなかなか難しい課題でして、この信念を維持し続けるのに結構苦労しています。 しかも、思いっきり、現実的な、いわゆる常識とは全く違うセオリーなわけです。普通に考えたら、例えば魂の喜ぶガチの仕事がしたいなら「あれやってこれやるだろ」ということをしないのですから。「本当にいいの?」って思いますよね。疑いを持ったままでもいいそうです。 頑張らない、怠ける、何もしない、計画しない、努力しない、「現実的/常識的に普通は取るだろ」という行動をしない 代わりにすることといえば、ポジティブでいること、愛や光を相手に送ること、自分を愛で満たすこと、好きなこと/楽しいことをする、信じる、自分に正直でいる、現実に一喜一憂しない/反応しないこと...など 代表格はそんな感じで言われています。 Doing より Being って気がしますね。 頑張らないことを本当の意味で自分に許していないと、頑張っていない人を見かける度にイライラすることになります。サインですね。これは非常によく分かります。何度もやってきました。私に気づかせるために敢えて彼らは頑張っていないのかもしれません。 頭で理解しただけじゃ足りなくて 、心でも理解して、ようやく今腹落ちした気がします。怠けることを自分に許してなかったり、罪悪感があったり、良くないことだとジャッ...

N°25 - 反出生主義

また言われたからここで吐き出すとしよう。毒親(もう父とも呼びたくないが)はいつもいつも「孫産め、孫産め」と煩い。私の勝手だって分からないのだ。 いつまでも「嫁と子供は自分の所有物」だと思っているから 。仮に産んだとして何のサポートをするわけでもない。金銭も世話も関与しないし、別に子供が好きなわけでもないから可愛がるかどうかさえ怪しい。 彼が欲しいのは孫ではなくステータス 。 「世間一般の幸せ」しか幸せの解がないと信じているからそこにしがみつく。自分の答えはない。 「孫がいる」というステータスだけが欲しい 。それだけが彼を幸せにする。そう信じてやまない。 彼にとって幸せとは概念であって個人の感情ではない 。 「孫までできたら人生上がり」ということだ。娘の幸せ、孫の幸せは一切勘定にない。他人の人生などお構いなしだ。 世間に「おじいちゃん」という称号を主張できることが彼の何よりの目的である 。 自分は散々家庭を壊しておいて、私を壊しておいて、一体誰が子どもを持ちたいとポジティブにイメージするというのだろう。彼が田舎者で昔の世代というのは単なる言い訳に過ぎない。少なくとも面と向かって未だに口出してきて、それが問題であることを理解しようとしもないのはこいつだけだ。今時いい加減言わなくなってきているんじゃないかと思う。こうした時代の流れさえも気にしないし理解しようとはしない。全て自分が正しいと思っているし、自分中心に世界は回っているから、自分の希望通りに惑星が運行しないのはおかしいという理屈だ。彼は子どもを産むことが義務だと思っている口。こちらに選択肢を与えるつもりはない。命令なのだ。 私はこれまで子どもを持ちたいと思ったことは一度もなかった。養子も含めてだ。これが 反出生主義 というやつかもしれないが、私はこの苦痛の多い世界/社会に、生み出したくはないと思っている。この世に生きることが幸せとは思わない。加えて、私はこの国の保守的な思想に全く合わないし、政治もとんちんかんなことを繰り返している中、国ごと朽ちていっていると言ってもいいこの沈みかけた船に新たな希望の種を撒こうとは更々思わない。そもそも子どもが好きじゃないし、自分がここまで生きるのだけで大変だったからこそ、子を持つことや子育てにポジティブなイメージが一切ない。正直自分の外見も内面もそっくりな人間が出てきたら怖いし、毒...

N°24 - 私の愛を疑うこと勿れ

情緒不安定すぎて草ですが、復活しました。今回はイエスより早い。不敬なジョークですね。 鬱とは、「恐れ」の病気。私にとって不安症と分けるのは難しい。この世に自分を愛してくれる人は誰もいないと思わせる。誰からも愛されていないとか、ツインフレームの愛は幻だとか、死んでも誰も悲しまないとか、全てを疑わせる。未来は暗く、変化は起きず、死こそが全ての解決策だと。全ては私の頭の中で起きている。惨めに死ぬ定めだと言ってくる。しかし本当の意味で、望んで死ぬ人は少ないでしょう。それはある期間鬱を経験した者にとっては百も承知です。我々は平凡な幸せだけでもと望んでいるからです。望むなら安楽死(尊厳死)という形を取るでしょう。しかし精神病に適用されるのは、それもこの国で認められるのはもっとずっと後になるだろうと思います。いや、自殺者の数とその社会的損失を考えたら案外すぐ先かもしれません。恐ろしい話ですが、快楽殺人者に嘱託殺人を依頼する気持ちも分からないではありません。ただ、死に方としては最も自分に優しくない選択だと思います。善人の手を汚させたくはない、公共や大勢の人間への被害を避けたい、おそらくそうした他者への「優しさ」から来ているのではないでしょうか。もっとも、彼らの心情が分かるだなんて軽々しく言うつもりはありません。すべては私の憶測に過ぎませんが、他者に優しく、自分に厳しい選択とも取れます。目的を隠して接近するケースもあるとは思いますが、殺してみたいと行動に出る人が、穏やかに殺してくれるとは到底思えません。「 自殺は鬱病の最後の症状だ 」と作家のマット・ヘイグは言いました。私はこれに完全に同意します。苦しみを終わらせたいだけなのです。 他の患者がどうかは知りませんが、希死念慮のときに私は必ず心臓が痛みます。比喩ではなくて実際にチクっとしたり、強く締め付けられるように痛みます。まるでその思考が間違っているかのように、体が反応を示します。私が死に接近している危険を体は察知しているのでしょう。生物としておかしな行動を取っているからでしょうか。明らかにメンタルがフィジカルに影響を与えている。 ... セラピストに会う予約の日に限って元気だったりします。このバトルに終わりが来る日はあるのだろうか――でも、症状は良くなってきている気もします。今回は該当しなかったけれども、トランジットの月が私のネイタ...

N°23 - MEET MY VULNERABILITY Ⅱ: LE PENDU

*精神的に参ってきたので最後の方は閲覧注意です。家族問題、精神病の方はトリガー・ワーニングです* 最後追記あり なんなんだろう。このエネルギーの無さは。家庭問題が私の生命力を奪っていく。何を書いたか忘れたけど前回の続きです。 エネルギー・バンパイア (energy vampires) という概念がありますよね。この家にいると、彼らといるとほとほと疲れてしまう。活動エネルギーが無くなる。やる気をなくします。 私の家族は極めて自己中心的な人物で、近所の迷惑というものに意識が行かないんですね。迷惑をかけてないと思っている。 ゴミ屋敷の定義は知らないけど、そうだと思う。衛生観念が終わってる。あーあ、言っちゃった。本当に恥ですね。それだけでも迷惑じゃないですか普通に。ここが一番嫌なところですね。私は4hに金星もあるので、人一倍綺麗に平和にしたいんです。 ヤバいのは本人たちに異常者の自覚がないことです。しかも私に「人に迷惑は絶対かけるな」って口酸っぱく何十年と言い聞かせておいて、 本人はその「昔ながらの教訓」を言葉として覚えているだけで、何が他人にとって迷惑かということをまるで理解していない 。残念なことに常識もない。モラルも備わっていない。 そもそも他者という存在を意識してない 。 健常者ほどには。自分にしか興味がないし、どこかで自分しか生きていないと思っている節がある。 (スピリチュアルどうこうは抜きにしてですよ)。 自分中心に世界が回っているからお構いなしなんですよね。他者という存在を端から想定していない。頼むから本当に一人で生きてくれ。家庭を持つな。 近所の皆さんは大変良い人達で、私たちに恐れをなしているのか苦情を言ってきません。騒音とか絶対思うところはあるはずなんですけどね。そのため今までトラブルという形は取っていません。が、これが厄介なところで、私が「外側の見え方」を伝えても彼らは一向に信用しませんから、幸か不幸か、 外部の人間から何か言わない限り、問題(が存在していること)を認識しません 。「何か問題があったら言ってくるでしょ」という理屈ですから言われない限り何してもいいじゃないけど、そういう法の抜け穴みたいなスタンスでいます。 それで「世間体」という言葉を彼らが使うことにはびっくりさせられます。一体どこに世間を気にした結果があるというのだろうか。 「彼らが想定し...

N°22 - MEET MY VULNERABILITY: A CONNECTION WITHOUT EMOTIONAL SAFETY IS JUST AN ATTACHMENT

私は、このトキシックな人間関係やシチュエーションから完全に離れることを自分に心から許可できていないのかもしれない。それは間違いなく大きな変化だから、恐怖はもちろんある。どうやって到達するかビジョンが見えない状況で、経済的に自立し自由になって、彼らと縁を切って、ネガティビティに自分を明け渡さないように毅然とした態度で境界線を引く――。 言うことは容易くて、実際少なからず情は出てしまう。彼らと笑って過ごせるときもある。それは気まずい不調和の空気を笑いに変えてきた私が作り出した矛盾だ。DVの関係性がよくそう言われているように、私はわかりやすくその関係に陥ってはいないけれど、コントロールやマニピュレーションの作用は同じことで、どんなに分かっていても断ち切ることは自分の一部を切り落とすみたいに痛みを伴うと思う。 彼らはハリポタのドローレス・アンブリッジみたいに " pure evil & bixch " というよりかは、トム・リドル " those   who never understand love "  的なんだ。それでも同情する義理はないのだが。 私が20歳のときには無理矢理縁を切ろうとした。そのために必死に働き過ぎて、結局身体と精神がボロボロになって十分な貯金ができず失敗に終わった。今にして思うと、あのときから今までの間にこの家で更なる学びを得ることになったのだからあのタイミングではなかったのだと思う。まだ全然癒されていなかったし、そういうときに無理矢理外部に出ても新たなトキシックな関係を作り出してしまいかねなかった。 私の言ってることが地に足がついていないのは分かっている。普通に考えたら、その時選べる最適な仕事に就いて貯めて出ればいい話だって。それが出来ないからこうなっている。私は機械的な仕事、事務的な仕事に絶望的に向いていないことが経験から分かっているし、そういう仕事がしかし求人にはありふれていて、私に合っているとされる海王星のような変な仕事は狭き門な気がしてならない。メンタルを患っていながら仕事をするのがどうしても続かなくて、おまけに行くところ行くところ業務がハードワークになりがちで、このままじゃ自殺すると思って退職するの繰り返しだ。私は注射器、血液、薬の恐怖症( Blood-Injection-Injury ...

N°21 - THEY FEAR LOVE CAUSE IT DRIVES THEM CRAZY

クイックにブログを書きます。いい言葉を見つけました。 THEY FEAR LOVE   BECAUSE IT  CREATES A WORLD THEY CAN'T CONTROL. GEORGE ORWELL 彼らは愛を恐れている。 それは自分でコントロールすることのできない 世界を作ってしまうから 。 ここで終わってもいいのですが、余談も少し。 一般に、ツイン男性の方が、人生をコントロールしたいタイプで、愛という強力な作用に身を任せることを躊躇う傾向にあるのではないでしょうか。 それは、彼らが愛していない、愛を体験していないという意味ではありません 。寧ろ、思いは誰よりも強いかもしれません。自分の強すぎる愛に慄いているのかも。傷つけることなく表現するために調整することが必要なのかもしれませんね。 近代日本では、恋愛は軟弱とされ、男性は感情的になること、感情を表現すること、弱さを見せること、愛に生きることを制限された風潮の歴史があるでしょう。 ツインフレームの場合、彼らは間違いなく(と言っていいほど)愛について傷ついた経験をしているので慎重にならざるをえません。また、このような神秘的な関係の場合、不可思議な運命の作用が関わり、アプローチしたくてもできないイベントが発生しがちです。どんなに現実的に生きてきても、彼らを謙虚にするほど訳のわからない、抑えられない、しかし、美しい愛を見つけてしまいますからね。愛に勝るものはないのです。 さらに、ツインフレームの場合は世間一般で見られる恋愛関係ではないことが多く 、片方または両方が既婚者、子ども持ち、親子ほどの歳の差、文化や宗教観の違い、国際結婚やかなりの遠距離、教師と生徒といった関係性、キャリアや経済格差、同性愛など、あらゆる "controversial" な設定が考えられます。世間体を気にすると仕事に響きそうでなかなかにリスクがあるから主に男性側の勇気が求められることが多いのです。 私の持論では、女性が愛について迷いなく求めることが出来る人が多いであろう理由として、1つはつまらない理由だけど、横のつながりを意識した社会構造を昔から持っていることが挙げられます。家庭を持つ、守るというのが社会的役割だったし、女性性の性質ともマッチはしている(しなきゃいけないわけじゃないけど)。結婚によって人生が...

N°20 - 言葉で表現できない苦しみ

言葉で表現することが上手くできないとなると、その苦しみは相当なものだろうと思います。幸い私は出来る方だと思っていて、幼少期こそシャイで自分の意見を言えませんでしたが、それは自分に意見を言う資格がないと思っていたり、周りの感情が流れ込んできてそれを優先してしまった結果として話すのをやめただけで、能力自体はありました。 父はその点言葉にすることが非常に苦手でして、よく言葉に詰まっています。親族の誰も今まで指摘したことがないけれど、これは吃音なんじゃないかと最近疑問に思っています。これが吃音でなくて何が吃音なのかと。 最近ようやく「英国王のスピーチ」を観ましたが、あんな形で、最初の言葉を繰り返しています。「あ、あ、あ...」とか、どうにも単語が出てこない様子。この歳になると加齢で出てこないのかと見分けがつきにくいですが、私が見てきた中で彼はずっとこうでした。言葉が思うように出てこない。遅くて反論もできない。そのフラストレーションが彼の中にあるのを感じます。恐らく頭は働いているし、単語は分かっているのです。...いや、頭が悪いだけなのかな。なかなか判断がつきません。彼の水星は確かに品位が悪いですがアスペクトはそうでもありません。思考が速すぎて言葉が追いつかないというわけでもありません。速すぎることはないと思います。最悪なことに、彼はフィジカルだけは鬼強いのでそのフラストレーションを暴力として消化しました。 他の家族は大体口が立つ方なので、容易に言い負かすことができます。そもそも彼の言葉は吃音関係なしに矛盾や間違いが多く支離滅裂です。思い込みは強いわ、嘘はつくわで、何の発言も信用することができないぐらいいい加減です。壊れたカセットテープみたいに同じ台詞を毎日、 かれこれ何十年と 繰り返しているほど不可解な頭をしています。だから単純に吃音どうこうの話じゃないですね。もはや私たちと会話をしているのではなく、彼の中で思い込みが繰り返されているだけの再放送です。この何十年と彼の主張が向上したことはありません。というか、一言一句同じです。恐ろしいですよね。酒を飲んだら全て忘れるんでしょうか。本当に毎日ですよ。形だけは会話という形式で話しかけてくるので厄介ですが。しかし反論ばかりすると仕舞いにはキレてしまい、一度キレると何をするかわからないタイプなので(酒に飲まれてもいます)、子どもの頃...

N°19 - 白蛇, 龍 & 一角獣

ユニコーンとドラゴン、どちらが好きですか? 心理テストじゃありませんのでどちらでもよいのですが、私は個人的に龍ってピンと来ないのです。昔から。 いわゆるスピ界隈でも、日本(またはアジア)系の世界観で語られる場合と、西洋(または欧米)系の世界観で語られる場合があるように思います。といっても詳しくないので、私の見聞きした範囲ですから偏っているのですが。 最近はブログに書くこともあまりなくなってきたので(気分じゃなくなっているので)、たわいもない話ですが、少々お付き合いください。 スピリチュアルでない人でも龍が好きな人は多いですよね。男性だと名前に入っている人も時々いらっしゃる。 面白いのは、龍は西洋だと倒すべきモンスターという認識で、その場合、日本語では竜と表記されることが多いのだとか。一時期流行ったモンスターハンターは、そっちの世界観に合わせたわけですね。 ことごとく西洋と東洋で反対の視点を持つのは不思議なことです。蛇もその例ですね。 学生時代、太くて大きな白い蛇を道路で見たことが2回ありますが、突然のことでビックリしたけれども、不思議と恐怖心よりもあまりに白くて立派だからちょっと神々しい気がしました。大蛇ですね。だけどもしヨーロッパで育って目撃したら違う反応をしていたんだろうなと思います。そのときは不思議とそこまで疑問に思わなくて、 どっちに行ったのか行方を見ることもなく、 その場を通り過ぎちゃったんですよね。考えてみれば、田舎というわけでもないので森や林、草むらさえもないのです。コンクリートジャングルなんです。蛇なんて小さくてもなかなか見る機会もないので。というかそんな大きな蛇なら警察に言えよって感じですよね。思いつきもしませんでした。ちょっと非現実感があったからですかね。その2回は別々の場所でしたが、どちらも人通り・車通りの多い道で、でもその時は近くに私しかいませんでした。自然界で目立つ純白なわけですから、どこから来てどこへ行ったのか、不思議です。とてもリアルに見えましたけど、あれは本当の蛇じゃなかったかもしれません。思えば2回ともそっくりな蛇でした。 目撃した前後に良いことがあったとか、逆に悪いことがあったとか一切記憶してないので、特に皆様にお伝えする場合、情報として結構無意味なんですが笑、不思議な思い出です。 この前は、夕日を見ようと思ったら雲がまんま龍の形...